スピードガン以前に非公式の「155キロ」 自慢は超爆肩…高校で驚きの“異常行動”

中日で活躍した鈴木孝政氏【写真:山口真司】
中日で活躍した鈴木孝政氏【写真:山口真司】

高校時代、右足だけで階段をケンケン移動「変わり者呼ばわりだった」

 思い出すのは小学5年時の体力測定。「ソフトボール投げで50メートルまでラインが引いてあって、その後ろは垣根があってお墓だったけど、俺、投げる前から絶対お墓に入っちゃうって心配だった。投げたらやっぱり入ったよ。先生が巻き尺を持って測りに行った。68メートルだったのを覚えている」。

 持って生まれた鉄砲肩。プロ入り後もこんなことがあった。「ナゴヤ球場でピッチングが終わってから、どのくらい投げられるかやってみようと思って、遊びでホームベースからちょっと勢いをつけて投げたら、バックスクリーンを越えちゃったもん。(中堅)約119メートルだからね、キャリーで130メートルくらい飛んでいる。それを何人も見ていたよ」。

 肩と肘の使い方も柔らかかったが、自然と身についた投げ方だった。「誰に教わったわけではない。ソフトボールがお墓に入った時もその投げ方だった」という。

 素質が人より上だったのは間違いない。だが、それだけでプロで活躍するほどの投手になったわけではない。原点は高校時代。キーワードは粘り強さだ。千葉・成東高校での3年間、松戸健監督の指示で学校の階段の上り下りはすべて、軸足の右足1本。“ケンケン”で動いたという。

「俺ひとりだけ言われたんだけど、強いピッチャーになりたい、甲子園に行きたいという欲だけでやり続けた。その時の成東は1年生4階、2年生3階、3年生2階。1年の時なんて4階までケンケンだから大変だった。周りからは変わり者呼ばわりだったね」

オフは自宅から学校までの片道16キロを「走って帰った」

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