「飲みながらだもん」入団拒否を覆した“宴席交渉” まさかの来襲に「返事しちゃった」
自宅で襖を外しての宴会…父親が「中日さんにお世話になります」
東京に行きたかった。「まだ子どもだったからね。遠いところには行きたくなかったんだよ。あの頃の自分にとって名古屋は外国みたいなところだったもんね」。それがひっくり返った。「近藤(貞雄)ヘッドコーチやスカウトの方など球団の人たちが家に来た。黒塗りのハイヤー7台でね。これに親父が舞い上がってしまった」。襖を外して宴会が始まったという。
「近藤さんが、大学も大事だけど、私が何とかしますから、ウチへよこしてくださいって感じで親に頼むんだもん。これに親父が参っちゃった。わかりました。中日さんにお世話になりますって返事しちゃった。おいおい俺のことだぜって俺は思ったけどね。飲みながらだもん。その時、親父は64~65歳だったけど、うれしかったんじゃないかと思う」
ただし、条件がひとつだけあった。「親父は、契約金はいくらでもいいので、その代わり、何か保証はありませんかって。自分は年だから、こいつが所帯を持っても俺がいない場合がある。その時に途方に暮れたら困るんでねって。そんな話をしていたのを覚えている」。
父・武男さんの要望を中日サイドも了承した。「当時は出向社員制度っていうのがあって、俺は中日新聞から出向という形にしてくれた」。明大・島岡監督にも中日スカウトから断ってもらったそうだ。ドラフトまでは思ってもいなかった鈴木氏と名古屋との“縁”はそうして始まった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)