目覚めるのが「怖かった」 実家で号泣「行きたくない」…ドラ1右腕が味わった挫折

2年目の合同自主トレに向けた合流日前日「行きたくないって、涙が止まらなかった」

 夏は暑さも地獄だった。「合宿所も暑かったなぁ。(同期入団の)田野倉(利男内野手)と2人部屋だったけど、窓を開けるともっと暑いもん、熱風で。エアコン? そんなものないよ。寝られなかった。つらかったね」。グラウンドでは途中からユニホームも着なくていいと言われたそうだ。「短パンとTシャツかランニング(シャツ)。ただ走るしかなかった。ボールを投げることはない。ホント陸上選手だった。ホント馬車馬だったね」。

 結局、投げることなく1年目は終了。11月下旬に球団事務所で契約更改を終えると、その足で千葉の実家に帰った。「帰っていいって言われたので帰りましたよ。実家には50日間くらいいた。今の人と違って、何にもしなかったよ。ちょっと走ったくらいで」。翌1974年1月15日が集合日で、16日から合同自主トレが始まるスケジュールだった。

「14日の晩は家で布団に入って泣いてたもんね。行きたくないって、涙が止まらなかった。これも忘れられない。(オフの間)ずっと家族と一緒にいられたし、自由だったもん。すごい気が重かったなぁ。ホント名古屋に行きたくなかった」。その後の堂々としたマウンド上での表情からは想像もできないが、それが当時19歳の鈴木氏の姿だった。大投手にもそんな時代があった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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