15歳で失った利き手の指…障害者野球が「輝いて見えた」 日の丸を背負い宿る“使命”

千葉ドリームスターに入団して8年経った今では親指だけの右手でもボールが投げられる【写真:編集部】
千葉ドリームスターに入団して8年経った今では親指だけの右手でもボールが投げられる【写真:編集部】

人生に光りを差した障害者野球との出会い「キラキラ輝いて見えた」

 小学3年生から続けてきた野球を諦めなければならない。喪失感と不完全燃焼感を抱えて入院生活を送る土屋さんに、身体障害者野球の存在を知らせたのは、父・純一さんだった。「何かスポーツはやりたくて、サッカーのような手を使わない健常者スポーツも選択肢としてあるなと。ただ、やっぱりまだ野球をやりたい気持ちも心のどこかにありました」。そんな息子の気持ちを察したのか、退院すると千葉ドリームスターの練習に「無理矢理連れていかれました」と笑う。

 だが、この「無理矢理」が人生に光を差した。目の前で野球をする選手たちの障害は、先天性、後天性、手、腕、脚など様々。誰一人として同じ障害を持つ人はいない。個性豊かなメンバーたちは自分がプレーしやすい方法で、思い思いに野球を楽しんでいる。「めっちゃ心打たれましたね」と当時を振り返る。

「高校まで自分がやってきた野球とは概念が違いました。ようやくキャッチボールができるくらい人が多かったんですけど、色々な障害がありながら、みんなすごく楽しそうで、僕にはその姿がキラキラ輝いて見えたんです。自分が知らない世界を初めて知った衝撃が印象的で、すぐに興味を惹かれました」

 高校2年生になる2015年に千葉ドリームスターへ正式に入部した。右投げから左投げに変えるのも一苦労。捕球した左手のグラブを右脇に挟んで外し、左手で送球する“スイッチ”を覚えるのも一苦労。週1回のチーム練習に加え、自宅で父と自主練習を重ねながら、ようやく手応えを掴むまで1年半を要した。今では左手にグラブをつけたままのトスや、親指だけの右手で投げる技も身につけた。

 打撃も工夫を重ねている。左腕一本で軟式球を打ち返すのは「なかなか酷な話なんです(笑)」。左打ちを右打ちに変えてみたり、バットのグリップを短く持ってみたり。「アドバイスをもらいながら試行錯誤を繰り返しました。今は右手も添えられるようになったので、左打ちに戻しました。何が正解か分からないから、常に自分のやりやすい方法を探しています」という。

 身体障害者野球を始めて間もなく日本代表の存在を知ったが、当時は「慣れるので精一杯。いずれなれたら嬉しいな、くらいでした」。徐々にできるプレーが増え、自分のスタイルで戦える自信がついてくると、日本代表入りは夢ではなく目標に変わった。そして、入団から8年目の今年、日本代表キャップを被って笑顔を浮かべる土屋さんがいる。

「実際に日本代表に選ばれた時はホッとしたし、良かったなと。チームのみんな、お世話になった人たちが喜んでくれたし、何よりも両親が僕以上に喜んでくれたのが一番嬉しかったです。日本代表になったことが、怪我をしてからの一区切りになるという想いもあります」

日本代表入りで見つけた新たな目標「一歩踏み出せるコミュニティを」

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