2球団から誘いも「情熱がなかった」 引退、コーチへ…ドラ1が選んだ32歳での幕引き
川端順氏は1992年を最後に引退…2球団が食指も32歳で幕を引いた
1992年シーズン限りで広島・川端順投手(徳島・松茂町議)は現役を引退した。プロ9年目での決断だった。7年目に背番号を「17」に変更した時から「自分なりの気持ちの中でずっとチームのためにやってきたから、最後にピッチャーらしい番号を、と思って変えてもらった」というように、終わりを覚悟しながら戦ってきたが、ついにその時が来た。もっとも、この時、現役続行の道がなかったわけではない。あえて選んだものだった。
ラストシーズンは26登板で3勝6敗1セーブ、防御率4.84だった。最後のマウンドは1992年9月20日の中日戦(広島市民)で、5回途中から3番手で登板して1回2/3を1失点だった。「シーズン中、広島市民球場で(1軍投手コーチの)安仁屋(宗八)さんに呼ばれた。ちょうど、ピッチャーバッティングで川口(和久)と2人でホームラン競争をしている時に『話がある』ってね」。球場のロッカールームに誰もいない時間を見計らってのことだった。
その状況に川端氏は「調子が上がってこないし、クビなんだなと思った」という。「安仁屋さんは『昨日(球団本部長の)上土井(勝利)さんと話をしたんじゃ』と言って『来年はワシと一緒に2軍でコーチをやるか、ロッテと日本ハムが欲しいといっているから、トレードに出るか。2つにひとつ。どっちにするか早いうちに決めてくれ』ということだった」。
悩んだ。翌年は区切りのプロ10年目になるとあって「実はもう1回、自分を見つめ直そうとやる気になっていた。体を作り直すために、いろいろ計画もしていた。そんな時に言われたのでね……」。その後、上土井本部長からも呼ばれた。「お前とか達川(光男捕手)とかがおったら、監督が便利だから使おうとするんや。そしたら、若いのが育たないんだよ」と説明された。実際、達川氏もそのシーズン限りでユニホームを脱ぐことになった。