名門で“幽霊部員”→SNSバズって人気コーチ 決意の独り立ち「僕はコロナ禍に救われた」
インスタのフォロワー3万人超…内野守備コーチ・武拓人さんが歩む野球人生
勝利至上主義、高圧的な指導……いまだ“旧態依然”のはびこる野球界に、新風を吹き込もうとする人たちがいる。Full-Count編集部では「球界のミライをつくる“先駆者”たち」と題し、“令和の野球”のキーマンを取材。今回は、インスタグラムで3万人超のフォロワーを持ち、SNSを通じてパーソナル指導を行っている内野守備コーチの武拓人(たけ・ひろと)さん。コーチとして歩み始めるまでの“紆余曲折”の野球人生について話を聞いた。
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桐光学園高、早大野球部出身、27歳の武拓人さんは、2020年から神奈川県茅ヶ崎市を中心に、主に内野守備を教えるパーソナルコーチとして活動している。インスタグラムを中心に自身の守備動画や指導の様子を動画でアップ。コーチ依頼のダイレクトメールは週に十数通にも上る人気ぶりで、これまで小学生からプロ野球選手まで600人以上の指導に携わってきている。
1人につき2時間、選手と一緒になってノックを受け、適宜アドバイスを施していくスタイル。1日3人を指導すると、400~500球もの打球を自身も追い続けることになるのだから容易ではない。「2週間先くらいまで予定を決めて、空いている枠にご新規の方を入れていく感じですね。1か月先まで予定を埋めてしまうと精神的にもしんどいので(笑)」。
集客に使うインスタだけでなく、中高齢層へのアプローチとしてフェイスブック、情報収集用としてX(旧ツイッター)も活用。「生の口コミだけでやっていくのは難しい。いい時代に恵まれていると思います」。SNSへのコメントや、選手たちからの感謝の言葉を糧に、充実の日々を送る。
商売道具にもこだわる。グラブについては「手の感覚が鈍るのは良くありません。はめた時に、キュッと手にくっつくくらいの感覚で、体の一部として使えるものがいい」と語る。現在愛用するグラブは、「一言で言えば、立ち方が変わる。グラブに不安要素があると力みが入ってしまいますが、このグラブは力が抜けて、リラックスして動けるんです」とお気に入りだという。
“差別”感じて野球の世界へ、湘南の自由な空気も…大学入学で一変
武さんはどのようにして、パーソナルコーチとしての人生を歩み始めたのだろうか。
神奈川県藤沢市出身。野球との出合いは小学5年だが、その前に別競技で頂点を極めた経歴を持つ。ブレイクダンス(ブレイキン)だ。国内で優勝し、世界大会では2位の実績。しかし、「採点で“人種差別”も感じたりして、子どもながらに『もういいや』と。それで、友達に誘われて野球を始めたんです」。
続けていれば、今頃は五輪候補として名を馳せていたかもしれない。それでも、逆シングル捕球やジャンピングスローなど、今も動画で称賛される“絵になる”守備の素養は、ダンスの動きによって培われたのは確かだ。
中学では硬式強豪「湘南クラブボーイズ」に所属。遊撃、三塁、外野を務め、1学年下の小笠原慎之介投手(現中日)らと共に全国出場を果たし、U-15日本代表にも選出された。桐光学園に進学すると、1年夏に背番号「6」の遊撃手として甲子園に出場し、1学年上の松井裕樹(現パドレス)らと共に8強進出。3年時には主将も務めている。
「高校でも上下関係は厳しくなく、自分の好きなようにできました」と語るように、野球というチームスポーツに身を置きながらも、どこか“独立独歩”の雰囲気を醸し出すのは、湘南の開放的な空気の中で育ってきたからかもしれない。
それが一変したのは、大学時代。進学先が歴史ある名門・早稲田大学野球部なのだから、ギャップの大きさも無理はない。
「高校とは真逆で、めっちゃ厳しくて。もともと僕は素直に『はい』と言えない、自分が正しいと思えば顔に出てしまうタイプですし、何かと“標的”にされてしまいました」
我慢の生活も、2年生の途中で限界がきた。特待生は退部=退学を意味するため、以降は“幽霊部員”として名前だけ残し、野球からは離れてキャンパスに通う「普通の大学生生活」に。それでも、コーチング論やスポーツ心理学の勉強は続けたし、ボーイズ時代にお世話になった野球指導者・長坂秀樹氏(元BCリーグ新潟ほか)が湘南で営む野球塾でアルバイトに励んだことで、「自分の中で“社会の枠”が広がるきっかけになりました」という。
3密回避が叫ばれる中で、屋外の1対1指導が「吉になりました」
そして卒業後の2020年、世界を襲ったのが新型コロナウイルスの感染拡大。自粛生活の中、草野球で撮った自身の守備動画をSNSで上げ始めたところ、「教えてほしい」という依頼が少しずつ来るようになった。さらにDeNAジュニア入りをする小学生への指導動画が大きな評判を呼んだ。
「1人でやっていこう」。パーソナル指導者として、本格的に歩み出す契機になった。
「密になることがよしとされない時代に、1対1、しかも屋外での指導というのが、僕にとっては吉になったんです。大学で野球を4年間続けて、社会人野球に進んで30歳までプレーして、そこから一念発起して『やろう』というのは難しかったかもしれない。こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど、僕はコロナ禍になって救われた1人。それ以前は、こんな生活ができるなんて想像もつきませんでしたから」
武さんの活躍の場は、地元での1対1指導にとどまらず、さらに広がりを見せている。月に1度は福岡や関西に出向き、少年野球の強豪チームへのコーチも託される。実は、福岡に拠点を移す構想もあるという。「九州は野球熱も高いですし、ダンサーである妻の仕事も見込めますから」。8割くらい、気持ちは傾いているそうだ。
さらに将来像として描いているのは、“自分自身の施設”を持つこと。「野球だけでなく、ダンスやサッカーなどの他のスポーツもできる、さらには勉強もできる、学校のような拠点を持ちたいですね。選手たちはアスリートを目指しながらも、セカンドキャリアまで見据えられるような。漠然とですが、そんなことができればいいなと考えています」。
SNS動画をきっかけにして始まった、武さんのコーチング人生。未来の人づくりへ、小さなスマートフォン画面の先には、壮大な夢が広がっている。
(高橋幸司 / Koji Takahashi)
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