東大エースが「特別な投げ方」を短期習得できたワケ 元プロ父も尊敬する“研究過程”
元ロッテ・渡辺俊介氏が語る息子…東大の下手投げエース・向輝投手との関係性
父と同じ投球フォームで、東京六大学リーグ戦で強豪相手に好投――。このところメディアの話題に上がるのは、元プロ野球投手で、現在は社会人野球の日本製鉄かずさマジックで監督を務める渡辺俊介氏の息子、東大の渡辺向輝投手(3年)だ。元プロを親に持つ子として、どんな野球人生を歩んできたのか。プロ13年間で通算87勝をマーク、稀代のアンダースローとして国際大会の経験も豊富な父が語った。
「周りからプロ野球選手の息子だと言われることは『嫌だった』と思います。あまり運動神経が良いほうではなかったから余計に。『お前、アンダースローで投げればいいじゃん』などと言われることもあったみたい。本人は、ただ野球が好きで楽しいから『チームで活躍したい』という気持ちの中で、僕の存在が逆に苦しめていた部分はあったようです。小学校の頃は一緒にキャッチボールをすることも多かったけど、彼が中学生になると自分の力で周りを認めさせたい。そんな意地みたいなものが強くなったようです」
偉大な父親の影響は避けられなかった。そんな渡辺氏は、同じ投手である息子にアドバイスをすることはあったのだろうか。
「こうやって投げろとか、こういう練習をしろとかって言ったことはほとんどないですね。もともと野球を見るのも、やるのもすごく好きな子だった。近所に野球が好きな友達が多かったので、公園に行くとずっとやっていました。少年野球チームに入っていましたが、レギュラーじゃなかったから、なんとか試合に出たいって感じでした」
アドバイスは“最低限”のものだった。「すごく筋力が強いタイプではないから、何か変な投げ方をして怪我をしちゃいそうだなという時はアドバイスをしていましたけど、それ以外は基本的に本人の好きなように、やりたいようにやっているのを見守るという形でしたね」。
父親は、自身と似た悩みを息子が抱いていることを見抜いていた。
「大学入学後にだんだんと球が速くなり、オーバースローで投げたら球速140キロ近くまで出るし、そっちを生かしたい。そして、もっと伸びるんじゃないかという気持ちになる。一方で、変則フォームにしないと通用しないかな? 面白いけど難しいな……みたいな気持ちもある。僕も高校の時はそうだったんですけど、同じような葛藤をしているのは見ていました」
それでも、息子を見守り続けた。投球フォームについて、「決断」は本人に委ねた。
「僕がアンダースローにした方がいいぞと言ったところで、どうせ本人は迷うんです。だったら、オーバースローとかサイドスローで、本人が一番力が出ると思うものを試してみる。もしも、通用しないって気づいたら変えればいい。無理にアンダースローにする必要もないと思っていました。自分で一番抑えられると思う投げ方をしたらいいんじゃないかと」
感覚をノートに記して日々研究…「アンダースローで行く」と決めたのはこの1年
息子が悩んでいても、簡単には答えを提示しなかった。悩んだ末に自分で方向を決めることの大切さを、自身の経験から知っていたからだろう。渡辺氏が言葉をつなげる。
「東京六大学で東大以外のバッターを相手にするっていうのは、普通じゃ難しいですからね。仮に140キロが出たところで、特殊な球種や技術がなければ難しい。自分の中でだんだん研究を重ねていくうちに、アンダースローに近いほうで投げたほうが打ち取れる手応えみたいなものを掴んでいったようです。本人が『アンダースロー1本で行く』と決めたのは、ここ1年くらいの話でしょうね」
向輝投手が自分自身で導いた結論だった。息子がアンダースローになってからの親子関係も興味深い。
「僕のマネはしていないってアイツは頑なに言い張っています。でも困ったときには相談してくる。そこで1つ2つアドバイスすると、素直に取り入れてやってみて、ああだった、こうだったということの繰り返しです。手取り足取り『こうしろ』というのは、僕からはやりませんね。投げていて『ちょっと気になるな』と思っても、結果が出ている時は何も言わずにいます」
息子は悩んだり困ったりすると、自宅に帰ってシャドーピッチングをするのだという。
「急に僕の前でシャドーピッチングが始まる(笑)。何か言ってほしいのかなと思っていると、『あのさ』って切り出してきて、会話になる。そのうちに僕に対して『実際にやってみて』と言ったりするので、『こういう感じ』って僕が見せる。すると、本人が試してみて『ああ、わかった』とか『それはわかりづらい』とか……そういうやり取りは、都度ありますね」
息子が努力をしている姿も見逃さない。「本人はすごく試行錯誤して、毎日、自分でノートを取っているんです。今日はこれを試して、こういう結果になった。あるいは、こういう感覚だった。または、こういうトレーニングをやったとか。プロや社会人でもあまりいないですよね。自分の感覚などに対する研究は、高校生からずっとやっているって言っていたかな。メモを取り続けたデータがあるようです。僕が何気なく言ったことも全部メモして残っていますね」。
父親も、そういう選手だったのだろうか。
「僕はそこまではやっていないですね。実際に投げる中で、自分の感覚を残して数をこなしながらやっていくっていう感じでした。だから、彼がすべてを記録として残して積み重ねていくのは、尊敬に値する。プロ野球を含めて、野球人の中でもかなりしっかりやっている部類に入ると思います。だから、ああいう特別な投げ方を短期間でマスターしたのでしょうね。十分に頷ける努力はしていると思います」
父親はライバル? 「技術で伸びていっている」息子の可能性に期待
アンダースローの大先輩ではあるが、認めるところは認めている。そんな父親だからこそ、焦ってアドバイスを与えることなく、見守ることができるのだろう。“大先輩”の目には、向輝投手の「伸びしろ」がどのように映っているのだろうか。
「体のサイズやパワーの観点で言うと、身体の強さとしての伸びしろは、それほどないと思う。僕自身もスピードがある方じゃなかった。でも、技術的にはこれからです。彼の場合は、パワーピッチャーではなくて技術で伸びていっている途中。アンダースローとしての経験を積んで続けていけば、さらに高いレベルのバッターを抑える技術をつかむことは十分にあると思いますよ」
さらに、将来性についてこうも分析する。
「これまでは、練習試合などでなんとなく抑えられたかもしれない。でも、リーグ戦では大学トップクラスのバッターと対戦して『今のままじゃ無理だ』となる。今は、その壁に向かって技術を高めるために試行錯誤をして『これはダメだった』『もっとこういうことが必要だ』とやっている途中でしょうね。対戦するバッターのレベルが上がるにつれて、どう対応するかを研究していけば、もう少し先まで伸びると思っています」
東京六大学という環境も、本人の成長を促進すると考えている。「レベルの高い相手と勝負する経験が少なかったので、ここ数シーズンは彼にとって、ものすごく貴重な経験。今までは投げることだけで精一杯で、神宮で投げたら楽しくてしょうがないという感じ。でも、最近は3年生で先発を任され、4年生にとって最後のシーズンなのに結果が出なかったと悔しがるようになった。本当に成長させてもらっているなと思いますね」。
神宮のマウンド。土砂降りの試合で登板したこともあった。
「あんな状況で投げたのは初めてだと思う。慶大の清原(正吾)さんに打たれたというニュースばかりが出ていましたけど、いろんな思いや葛藤の中で投げられていることも、本人にとってはすごくいい経験になっているなと、親として思っています」
まさに1試合1試合、1球1球が成長につながっているようだ。現在、大学3年生の向輝投手にとって父親の大学(国学院大)時代は目標でもある。
「先日、向輝に言われましたよ。『東京六大学のバッター相手に8回まで0点に抑えられる?』『大学3年の時に抑えられた?』って。いや、難しかったかもしれないねって言ったら、嬉しそうに『勝った!』って。大学時代の僕は競争相手なんでしょうね。でも、当時の僕よりも向輝の方がコントロールがいいし、変化球もある。球の威力は僕の方がありましたけど。僕に対するライバル心とか、頼ってくるところも全部含めて、父親としてもいい時間を過ごさせてもらっています」
野球では対抗戦を除いて、大学チームと社会人チームが公式戦で対戦することはない。しかしこの夏、父が監督を務める社会人チームと東大とのオープン戦が組まれた。
「(向輝投手が)投げる予定だったけど、途中で雨が降ってきて……。試合が続いていれば対戦したらしいです。もしかするとこれから先、そういう機会もあるかもしれないですね」
その時、父親はどんな気持ちになるのだろうか。
「やったことがないのでわからないです。試合となれば、我々のチームの目的を最優先に考えてやると思いますけどね。試合と親子のことは、あまりごっちゃにしたくないので……。でも、ちょっとやりづらいだろうな」
複雑な心境をのぞかせながらも、その表情は笑顔だった。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)
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