兄の「12」背負い日本一 “肩肘ボロボロ”で泣き崩れた5年前…阪神Jr.司令塔の思い

全5試合に「4番・捕手」で出場…馬野心輝が背番号「12」に込めた“雪辱”
全国の逸材小学生がプロ野球と同じユニホームを着用して戦う「NPBジュニアトーナメント KONAMI CUP 2025」は29日に東京・神宮球場で決勝戦が行われ、阪神タイガースジュニアが福岡ソフトバンクホークスジュニアに6-4で勝ち、3年ぶり2度目の優勝を果たした。全5試合に「4番・捕手」で出場した馬野心輝(うまの・しき)選手は5年前に兄が着けるはずだった背番号「12」で躍動した。
馬野は28日の予選リーグ第3戦(対四国アイランドリーグplusジュニア)で3ラン。この日の決勝戦でも初回に先制の適時二塁打を放った他、登板した3投手を巧みにリードし、3年ぶり優勝に大きく貢献した。今年のチームでは、少年野球で一般的に正捕手がつけるとされる「2」ではなく、馬野は「12」を選んだ。これには並々ならぬ理由があった。
「タイガースジュニアにお兄ちゃんが選ばれていたんですが、怪我で辞退してしまったんです」。兄・心温(しおん)さんも、かつて馬野と同じ北ナニワハヤテタイガースでプレーし、2020年に捕手で阪神ジュニアに選出された。しかし、初日の練習で行われた肩肘検診で「肩肘がボロボロ」と診断され辞退。心温さんは「12」を着けるはずだったという。
馬野の父は「背番号も決まって、甲子園の室内練習場で検診をして、いざ初日の練習というところでした。怪我が分かった時は妻と一緒に泣き崩れて……3人で帰りましたね」と振り返る。

兄のために「頑張ろうという気持ちはありました」
兄の悔やみきれない思いを、当時幼かった馬野も感じ取っていたようだ。「心温の怪我が分かった時、心輝は小学1年生だったので、あんまり分かってないような感じではあったんですけど……兄を見て野球を始めたので。思うところはあったのかなと」と父は語る。
一方で、“怪我の功名”もあった。「すぐに手術を受けられたので、中学でも1年生からすぐ復帰できたんですよ。タイガースに『あかんよ』って言われなかったら、もっと遅くなっていたと思うので。先のことを考えたらよかったですね」。
心温さんはその後、尼崎西リトルシニアで主将として活躍。日本航空石川に進学し、2年生ながら主力としてプレーする。「お兄ちゃんのためにも頑張ろう、という気持ちはありました。僕も中学では硬式でキャッチャーをしたいです」と馬野。追うのは兄の背中。歓喜の中でも静かに闘志を燃やしていた。
(磯田健太郎/Kentaro Isoda)
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