取材できなかった“起死回生HR” 嬉しさと情けなさが交錯した奇妙な夜…翌日に救われた「いつもの姿」|私だけが知っている松井秀喜#4
苦しいシーズンを送った一方で、日米通算500号を記録したアスレチックス時代の松井秀喜【写真:アフロ】不振でも変わらぬ取材対応、おどけて報道陣を笑わせたことも
Full-Count+の新連載「私だけが知っている松井秀喜」では、当時の担当記者たちが「未発表の記憶」を紐解いていく。前回#3に続き、筆者は清水友博。2011年から2012年にかけて、キャリアの終章に寄り添い続けた「下っ端番記者」だからこそ見えた松井秀喜の素顔——。今回は「胸騒ぎ的中のHR」。(敬称略)
アスレチックスに移籍した松井は、開幕からなかなか調子が上がらなかった。
打率も出塁率も低迷し、豪快な一発も出ない。スタメンから外されることが増え、打席に立つ機会すら与えられない試合も多くなっていった。5月3日の本拠地でのレンジャーズ戦でサヨナラ本塁打を放ってからは、約1か月も本塁打が出ない状態が続いた。
番記者として、こういう時期は正直つらい。結果が出ていない選手のもとへ毎日足を運び、質問を重ねることになるからだ。「今日はちょっと勘弁してください」と報道陣を遠ざける選手も多い。結果が出ない苦しさの中で、毎日カメラと質問の矢面に立ち続けるのは、並大抵のことではない。
ただ、松井は違った。どんな状況でも、変わらなかった。同じようなテンションで、同じような表情で、記者たちの前に立ち続けた。スタメンを外れた日も、凡退が続いた日も、特別に暗い顔をするわけでも、いらだちを滲ませるわけでもなく、淡々と取材に応じた。
ある日のことだ。取材の中で、記者の一人が「フェンス激突の二塁打」と言い間違えた。正しくは「フェンス直撃」である。すると松井はすかさずこの一言を拾い、「激突? フェンスに激突してましたね〜」とおどけて見せた。その場にいた報道陣が一斉に笑った。そんな状況でも場の空気を読み、笑いに変え、その場にいる全員の緊張をほぐしてしまう。それが松井秀喜という人間だった。
ハイタッチを交わすボブ・メルビン監督(左)と松井秀喜(2011年)【写真:アフロ】転機が訪れたのは、6月だった。
松井の起用を制限し始めていたボブ・ゲレンが成績不振を理由に監督を解任され、ボブ・メルビンが監督代行に就任した。マリナーズの監督時代にイチローと信頼関係を築き、松井を高く評価していることも知られていたメルビンへの監督交代劇は、追い風になるはず。期待感が一気に高まった。
空港で足止め…松井スタメンの“転機”に胸騒ぎ
12本塁打で終えた不本意なシーズンも…いつも変わらなかった姿
(清水友博 / Tomohiro Shimizu)
私だけが知っている松井秀喜
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