安易な会話に「見え見えなんだよ。出直してこい!」 温厚な人格者の“2度の叱責”…共通する妥協なき姿勢|私だけが知っている松井秀喜#6

アスレチックスの松井秀喜を囲む報道陣。右が筆者(2011年)【写真提供:産経新聞社】アスレチックスの松井秀喜を囲む報道陣。右が筆者(2011年)【写真提供:産経新聞社】

忘れられぬ迫力…松井秀喜からシーズンに2度も“叱られた”出来事

 当時の担当記者たちが「未発表の記憶」を回想するFull-Count+の連載「私だけが知っている松井秀喜」。今回の筆者は、湯浅大。温厚な人格者として知られる松井から受けた、“貴重”な叱責。しかも2度……。そこには、野球に対する妥協なき信念があった。(敬称略)

湯浅大
著者:湯浅 大
ゆあさ・だい
松井秀喜取材担当:2010〜2011年
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東京都生まれ。成城高、法大を経て1997年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでサッカー(2002年日韓W杯)、野球などを担当。主にMLB、DeNA、西武などを取材。侍Jの第1、2回WBC優勝や2007年レッドソックス、2009年ヤンキースWS制覇の現場に立ち会えたことは財産。2023年11月からFull-Count編集部に所属。

 迫力に満ちた表情が、今も忘れられない。2010年、エンゼルス時代のことだ。2007年から2012年までメジャーリーグ担当だった私は、他球団の日本人選手を取材する機会が多かったのだが、この年は松井秀喜の番記者を中心とした出張日程を組んでいた。

 前年までのヤンキース時代にも何度も取材を重ね、「湯浅」と名前で呼ばれる程度には認知してもらっていた。ただ、他社の“ベタ付き”担当記者ほどに関係が深かったわけではなく、いつも緊張しながら話しかけていたのを覚えている。

エンゼルス時代の松井秀喜(2010年)【写真:アフロ】エンゼルス時代の松井秀喜(2010年)【写真:アフロ】

 ある試合前、エンゼルスタジアムのクラブハウスに入ると、松井が自身のロッカーの前で椅子に腰掛けてくつろいでいた。単独で話を聞けるチャンス。活躍した際に記事のスパイスとなるような、独自のコメントを引き出そうと声をかけた。

「松井さん、今、質問していいですか」

「うん、いいよ」

 いつものような軽い口調での応対。質問の細かな文言は失念してしまったが、当時、脳梗塞からのリハビリに励んでいた巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対し、「自分が活躍することで明るいニュースを届けたい」といったニュアンスの回答を期待した問いかけだった。

 私の問いに、松井は首をやや傾け、ジッと目を見つめてこう言った。

「なんか、言わせたいことが見え見えなんだよ。もう1回、出直してこい!」

 星稜高校時代から全国の注目を浴び、巨人の4番として修羅場をくぐってきた男は、取材対応においても百戦錬磨だ。あまりに“ベタ”な誘導で、松井を呆れさせてしまった。

 恥ずかしさで顔が火照った。幸いにも単独の場だったため、この“失態”を他社の記者に知られることはなかったが、私はスゴスゴと退散するしかなかった。翌日に再挑戦して無事にコメントをもらえたものの、このやりとりは、後日に待ち構えていた「ゴジラの叱責」への序章に過ぎなかった。

日米記者による「親善ソフトボール対決」で…

 この頃のエンゼルスは、ヤンキースの中心選手だった松井の加入に地元メディアも熱視線を送っていた。開幕後の暖かい時期だったと思う。松井を支える日本人スタッフの計らいで、試合のない日に日米記者による「親善ソフトボール対決」が開催されることになった。

 会場はなんと、球団の理解を得て使用が許可されたエンゼルスタジアム。そして、米記者チームの助っ人として参加していたのが、松井秀喜だった。

エンゼルスタジアムでの日米親善ソフトボールで凡退した筆者…この時は松井(左奥)は二塁手【写真:筆者提供】エンゼルスタジアムでの日米親善ソフトボールで凡退した筆者…この時は松井(左奥)は二塁手【写真:筆者提供】

 まさに贅沢極まりない空間。打席に立った私は渾身のスイングを繰り出した。しかし、緩い球にタイミングが合わず、擦り上げた打球は真上へ。キャッチャーの松井がフライを追う。打ち上げてしまったと立ち尽くす私に、捕球した松井が声を張り上げた。

「おい湯浅、何やってんだ! なんで走らないんだ! ちゃんと走れ!!」

 周囲は爆笑に包まれていたが、その表情は真剣そのもの。ゴジラの迫力満点の剣幕に圧倒された。すでにキャッチャーへのファウルフライでアウトは確定していたが、私は大慌てで一塁ベースを駆け抜けた。

 後日、その件を話題にすると、「当たり前だろ。何が起きるか分からないんだから、ちゃんと走らなきゃダメなんだよ」と、再び真剣な表情で諭された。まさか親善試合のソフトボールで、松井の野球に対する真摯な向き合い方を肌で感じることになるとは、夢にも思わなかった。

 貴重なオフを報道陣のために割いてくれた松井、そして企画してくれたスタッフには今も感謝している。エンゼルスタジアムの芝を踏み、プレーできたのは、ひとえに松井の人徳があったからこそだ。そして、そんな人格者である松井にシーズンで2度も怒られた経験は、記者としての、そして人生の大きな財産となっている。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

私だけが知っている松井秀喜

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