安易な会話に「見え見えなんだよ。出直してこい!」 温厚な人格者の“2度の叱責”…共通する妥協なき姿勢|私だけが知っている松井秀喜#6
アスレチックスの松井秀喜を囲む報道陣。右が筆者(2011年)【写真提供:産経新聞社】忘れられぬ迫力…松井秀喜からシーズンに2度も“叱られた”出来事
当時の担当記者たちが「未発表の記憶」を回想するFull-Count+の連載「私だけが知っている松井秀喜」。今回の筆者は、湯浅大。温厚な人格者として知られる松井から受けた、“貴重”な叱責。しかも2度……。そこには、野球に対する妥協なき信念があった。(敬称略)
迫力に満ちた表情が、今も忘れられない。2010年、エンゼルス時代のことだ。2007年から2012年までメジャーリーグ担当だった私は、他球団の日本人選手を取材する機会が多かったのだが、この年は松井秀喜の番記者を中心とした出張日程を組んでいた。
前年までのヤンキース時代にも何度も取材を重ね、「湯浅」と名前で呼ばれる程度には認知してもらっていた。ただ、他社の“ベタ付き”担当記者ほどに関係が深かったわけではなく、いつも緊張しながら話しかけていたのを覚えている。
エンゼルス時代の松井秀喜(2010年)【写真:アフロ】ある試合前、エンゼルスタジアムのクラブハウスに入ると、松井が自身のロッカーの前で椅子に腰掛けてくつろいでいた。単独で話を聞けるチャンス。活躍した際に記事のスパイスとなるような、独自のコメントを引き出そうと声をかけた。
「松井さん、今、質問していいですか」
「うん、いいよ」
いつものような軽い口調での応対。質問の細かな文言は失念してしまったが、当時、脳梗塞からのリハビリに励んでいた巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対し、「自分が活躍することで明るいニュースを届けたい」といったニュアンスの回答を期待した問いかけだった。
私の問いに、松井は首をやや傾け、ジッと目を見つめてこう言った。
「なんか、言わせたいことが見え見えなんだよ。もう1回、出直してこい!」
星稜高校時代から全国の注目を浴び、巨人の4番として修羅場をくぐってきた男は、取材対応においても百戦錬磨だ。あまりに“ベタ”な誘導で、松井を呆れさせてしまった。
恥ずかしさで顔が火照った。幸いにも単独の場だったため、この“失態”を他社の記者に知られることはなかったが、私はスゴスゴと退散するしかなかった。翌日に再挑戦して無事にコメントをもらえたものの、このやりとりは、後日に待ち構えていた「ゴジラの叱責」への序章に過ぎなかった。
日米記者による「親善ソフトボール対決」で…
(湯浅大 / Dai Yuasa)
私だけが知っている松井秀喜
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