「あなたたちには分からない!」監督室で失った平常心 「10・2」の死闘も…32発の助っ人が消えた理由|オリックス低迷期の真相 #2

優勝争いをしながらもシーズンを2位で終えた2014年のオリックスを振り返る【写真提供:産経新聞社】優勝争いをしながらもシーズンを2位で終えた2014年のオリックスを振り返る【写真提供:産経新聞社】

オリックスが2014年に見せた優勝争い…躍進呼んだ“新助っ人”の活躍

 オリックスは中嶋聡監督の下、2021年~2023年に3連覇を達成し、パ・リーグを代表するチームに生まれ変わった。それまでは“暗黒時代”と揶揄されていたが、オリックスファンが熱狂した1年も存在する。リーグ2位になった2014年で、ソフトバンクと死闘を演じた「10・2」など、今でもファンの間では伝説的なシーズンとして語り継がれている。今回はシーズン30発を放った助っ人が、クライマックスシリーズ(CS)で姿を消した真相を、当時球団本部長を務めていた瀬戸山隆三氏が明かす。

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 瀬戸山氏は2013年11月に球団本部長に昇格し、チームの編成、育成などを任されることになった。同年は森脇浩司新監督がチームを指揮するもリーグ5位に沈んだ。それでも、トレード移籍の糸井義男外野手が打率.300、17本塁打、33盗塁をマークし、2年目の李大浩内野手が打率.303、24本塁打、91打点、アーロム・バルディリス内野手も打率.289、17本塁打、91打点を挙げて打線を引っ張り、投手陣もエース・金子千尋が15勝と完全復活。佐藤達也、平野佳寿、比嘉幹貴らリリーフ陣の踏ん張りもありチーム防御率はリーグ1位をマークしていた。

 だが、勝負強く安定した打撃を見せていた李大浩とバルディリスの助っ人2人が、他球団に移籍したことで4、5番がぽっかりと空いてしまう。充実した投手陣が揃うなか、Aクラス入りを果たすために必要だったのは、長打が期待できる助っ人の獲得だった。

「あの時はシーズンの後半から李大浩が他球団に移籍することが予想されていた。シーズン中に来年以降の話をしても本人はうわの空でね。ホークスに移籍するのはほぼ決まっていた。どうしようかと。期待できる助っ人がいなくて頭を抱えていたが、ホークスがウチの4番を獲るなら、こっちは相手の4番を獲りにいこうとなった。ホークス最終年に成績は残していなかったが日本の野球は知っている。当たれば儲けものぐらいの感覚だった。本命はベタンコートでしたから」

 ウィリー・モー・ペーニャ外野手はソフトバンクで2012年に130試合に出場し、打率.280、21本塁打、76打点をマークしたが、2013年は出場機会が激減。55試合で打率.233、1本塁打に終わり10月15日に退団が発表されていた。瀬戸山氏はすぐさま、ペーニャ側と接触。さらに、マリナーズ、ブルワーズなどでプレーし、メジャー通算80本塁打を放っていたユニエスキー・ベタンコート内野手を目玉として獲得した。

オリックス時代の2014年、32本塁打を記録したウィリー・モー・ペーニャ【写真提供:産経新聞社】
オリックス時代の2014年、32本塁打を記録したウィリー・モー・ペーニャ【写真提供:産経新聞社】

32発&90打点の活躍も…シーズン終盤にペーニャに起きた異変

 そして、迎えた2014年。開幕オーダーは「1番・三塁」エステバン・ヘルマン、「2番・右翼」平野恵一、「3番・中堅」糸井、「4番・二塁」ベタンコート、「5番・左翼」谷佳知、「6番・指名打者」ペーニャ、「7番・一塁」高橋信二、「8番・遊撃」安達了一、「9番・捕手」伊藤光だった。だが、期待されたベタンコートは全く機能せず、開幕3戦目に6番に降格。12試合で打率.106と低迷し、4月に登録を抹消された。

 一方のペーニャはベタンコートに代わり4番を務め、3、4月は全27試合に出場。リーグトップの10本塁打、23打点を記録し月間MVPに輝いた。その後も糸井と中軸を担い140試合に出場し、打率.255、リーグ3位の32本塁打、リーグ2位タイの90打点をマークし、チームを2位躍進に導く活躍を見せた。

「ベタンコートは途中でいなくなりましたが、ペーニャは本当によく頑張ってくれました。打つだけではなく、ああ見えて走塁の意識も強かったですよ。チームがリーグ2位になったのは間違いなくペーニャのおかげ。ただ、シーズン序盤は気持ちよく打っていたけど、チームが優勝争いをする頃には徐々にプレッシャーを感じていた。心の弱さが出てくることもあったし、最後の方には球場に来なくなってしまった…」

 チームは開幕から絶好調で6月終了時点で首位をキープ。7月は勢いに乗るソフトバンクに首位の座を明け渡したが、必死に食らいつきリーグ優勝は10月に入っても決まらない。V争いを繰り広げるチームの4番打者として、これまで感じたことのなかったプレッシャーが重くのしかかってきた。

「森脇監督と僕とペーニャと通訳で何度も監督室で話しました。そんなに肩に力入れんでもいい、家の事情とかあるのか? など色々聞くんだけど、『そんなんじゃない! あなたたちには分からないんだ!』と言ってね。暴れることはなかったが、頭を抱えたり、叫んだり、やっぱり錯乱状態だった気がする。あれはやっぱり相当なプレッシャーで、とにかくプレーできないな精神状態になってるんだろうなと思った」

オリックスで球団本部長などを務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】オリックスで球団本部長などを務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

4番抜きで戦ったCS「最後の最後でいないのかと…」

 そして、このシーズンを象徴する「10・2」決戦を迎えた。オリックスは3試合を残し78勝61敗2分、勝率.561。ソフトバンクは1試合を残し77勝60敗6分、勝率.562の状況。ソフトバンクは勝てば優勝、オリックスは引き分けでも残り2試合を1勝1分、勝てば残り2試合を連敗しなければ優勝だった。

 試合は延長10回に比嘉がサヨナラタイムリーを浴び、優勝を逃した。それでも、チームは「博多に帰ってくる」を合言葉に、CSでのリベンジを誓っていた。本拠地・京セラドームで行われる日本ハムとのCSファーストステージに向け準備を進めていたが、チームは4番抜きで戦うことを強いられることになる。

 CSファーストステージ初戦の10月11日、ペーニャは出場せず、試合にも敗れた。翌12日に球団は「右大胸筋の炎症」を理由に出場選手登録を抹消。1勝1敗のタイに持ち込んだが、14日の第3戦は守護神・平野佳が延長10回、中田翔内野手に痛恨のソロ本塁打を浴びCS敗退が決まった。シーズンで32発を放った4番打者はCSに出場することなく、チームを去っていった。

「CS前にはペーニャがいないまま戦わなきゃいけないことは覚悟してた。もうこれはどうしようもない。現場の森脇監督、チームからすると最後の最後でいないのかと……。骨折したとかなら仕方ないし、みんなも『力を合わせて』と思うけど、そうじゃなかったですから。終盤はチャンスで打てなかった部分もあったが、短期決戦は一発のある打者が鍵を握る。CSでは日本ハムにホームランでやられましたから」

 ペナントレースではソフトバンクを上回る80勝(ソフトバンクは78勝)を挙げながら、勝率の差でリーグ制覇を逃した。それでも、戦前の予想を覆し、シーズン終盤まで熾烈な優勝争いを繰り広げた2014年。大きな躍進を遂げたシーズンとしてファンの心に刻まれている。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

オリックス低迷期の真相

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