オーナーは「高山のほうがええ」も「半ば無理やり」 3連覇に繋がったドラフト…吉田正尚を一本釣りできた理由|オリックス低迷期の真相 #4

シーズン途中に森脇浩司監督が事実上の解任も3連覇に繋がったドラフト【写真提供:産経新聞社】シーズン途中に森脇浩司監督が事実上の解任も3連覇に繋がったドラフト【写真提供:産経新聞社】

大型補強も2015年シーズン途中で森脇浩司監督が事実上の解任…チームは5位に

 2015年のオリックスは、総額約30億円とも言われる超大型補強を敢行しながら、期待された新戦力の相次ぐ故障により無残な結果に終わった。シーズン途中には森脇浩司監督が事実上の解任となり、チームは5位。「10・2」の死闘を演じるなど2位になった前年から一転、低迷した球団に求められていたのは、根本からの解体と再生だった。当時球団本部長を務めた瀬戸山隆三氏が、「血の入れ替え」という“非情”な決断、そして後のリーグ3連覇の礎となった運命のドラフトの裏側を明かす。

 大型補強の失敗と指揮官の交代。瓦解したチームを立て直すには、痛みを伴う荒療治が必要だった。瀬戸山氏らフロント陣は、ベテランや実績ある選手に対しても容赦ない大減俸を実施するなど、世代交代を推し進めた。プロの世界においては、過去の実績よりも「今、何ができるか」が重要になる。契約更改交渉の席は、かつてないほど冷たく、張り詰めた空気に包まれていた。

 シーズン真っ只中の9月に、チームはBクラス。フロント側とすれば翌年を見据え動き出す時期だった。当時、神戸にあった球団施設には馬原孝浩投手、坂口智隆外野手、比嘉幹貴投手の姿があった。減額制限(年俸1億円以下は25%、それ以上は40%)を超える減俸を伝えるためだった。

 当時の推定年俸は馬原が1億3500万円、坂口は7500万円、比嘉は6000万円。怪我や不調で成績を残せていなかった3人に提示した額は1500万円程度だったという。

「馬原と坂口のことは強烈に覚えています。本人からすれば『もう必要ないのか?』という思いはあったと思う。インセンティブをつけており、条件をクリアすれば元の年俸に戻れる仕組みにはなっていましたが、納得いかなかったのでしょう。2人ともすぐに退団する意思を伝えてきました」

オリックス時代の馬原孝浩【写真提供:産経新聞社】オリックス時代の馬原孝浩【写真提供:産経新聞社】

実績あるベテランや功労者へ…減額制限を超える年俸を提示

 馬原、坂口はその日のうちに、自身のロッカーを全て整理し、静かに球場を後にしたという。主を失った空っぽのロッカーが、“血の入れ替え”の生々しさを物語っていた。選手会長まで務めた功労者の坂口の退団はファンにも衝撃を与え、球団には抗議の電話もあったという。

「前年あと一歩で優勝だったチームが5位。しかも、大型補強したのに失敗している。これは一からやり直さないと駄目だという気持ちが強くありました。この厳しい世界ではそういう決断も必要で、対象になった彼らには申し訳ない部分もありましたが、やらなければならなかった」

 批判は覚悟だった。血を流す以上、その場しのぎの補強で終わるわけにはいかない。フロントは明確なビジョンを掲げ、スカウティングの根本的なシフトチェンジに打って出た。それまで社会人や即戦力重視だった戦略を捨て、数年後の東京オリンピックを見据えた将来性のある若手、特に高校生を中心としたポテンシャル重視の指名へと舵を切ったのだ。この改革を主導したのは、瀬戸山氏と副本部長の加藤康幸氏だった。

 迎えた2015年秋のドラフト会議。オリックスの1位指名候補には、青山学院大の小柄なスラッガー、吉田正尚外野手の名前があった。

「1位の吉田正尚は体が小さいけれど、ものすごくパンチ力がある。門田博光さんのような選手になる可能性があると評価していました。もちろん、故障のリスクもありましたが、飛び抜けた能力がありました」

 獲得への道のりは平坦ではなかった。オリックスのドラフトは、宮内義彦オーナーが強い関心を持って関与するのが常だった。当初、宮内オーナーと福良淳一監督は「投手を獲るべきだ」と主張していた。現場が即戦力の投手を欲しがるのは当然の心理だ。しかし、瀬戸山氏と加藤氏は一歩も引かなかった。「単独で吉田が行けます。獲るべきです」と猛プッシュし、福良監督を説得。残る最大の“壁”は、宮内オーナーの首を縦に振らせることだった。

ドラフト1位で入団したオリックス時代の吉田正尚(左)【写真提供:産経新聞社】ドラフト1位で入団したオリックス時代の吉田正尚(左)【写真提供:産経新聞社】

ドラフト1位に推した吉田正尚に宮内オーナーは反対「高山のほうがええ」

「最後は宮内さんも『野手でいい』と折れてくれました。ただ、『指名するなら高山(俊外野手、明大=阪神ドラフト1位)にしなさい。高山のほうがええ』と言われたんです。確かに高山のほうが体は大きかったですが、全ての能力が平均的でした。我々は打つほうで飛び抜けた能力を持っている吉田でいきましょうと、半ば無理やりGOサインをもらいました」

 さらには、10位で当時無名に近かったJR西日本の杉本裕太郎外野手を指名。「当たれば飛ぶ」というスケールの大きさに賭け、最後の最後で指名した。

 周囲の声を押し切り、己の眼力を信じて“金の卵たち”を獲得。吉田は入団後、最初の3年間こそ怪我に苦しんだものの、やがて球界を代表する打者へと成長を遂げた。杉本もまた「ラオウ」として覚醒し、本塁打王を獲得。彼らはのちに、オリックスをリーグ3連覇へ導く絶対的な大黒柱となった。

オリックスで球団本部長などを務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】オリックスで球団本部長などを務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

「吉田は最初の3年は怪我もあって、チームの戦力にはなれませんでした。でも、ケガが治ってからは日本を代表する打者にまで成長してくれた。宮内オーナーの意見を突っぱねてまで獲りましたからね。もう少し早く彼が活躍してくれていれば、僕も加藤もクビにならなかったかもしれない(笑)」

 瀬戸山氏はそう言って、少しだけ自嘲気味に笑った。泥にまみれ、憎まれ役を買って出てまで断行した血の入れ替えと、信念を貫いたドラフト。彼らがグラウンドに蒔いた種は、数年の時を経て、京セラドームに歓喜の花を咲かせることになった。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

オリックス低迷期の真相

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