生まれ変わる女子ソフト…元ハム球団代表が“脱・五輪頼り”を掲げるワケ
元日本ハム球団代表の島田利正氏が「JDリーグ」チェアマンに
日本の女子ソフトボール界が今年、生まれ変わる。1968年の創設以来、54年の歴史を誇った日本女子リーグを大幅に改組し、東西2地区制・計16チームによる「JD.LEAGUE(JDリーグ)」として再スタートを切るのだ。チェアマンに就任したのが、プロ野球の日本ハムで常務取締役球団代表など重職を歴任した島田利正氏。「目標はソフトボールの競技人口を増やすこと。子ども達から“あそこでやりたい”と思われるリーグを作りたい」と熱く語る。
「世界一のリーグを目指しています。ただ、実はもう(世界一に)なっていると思っています」。島田チェアマンはそう言い切る。「他の競技は、トップ選手が日本から出ていってしまう。野球は大谷翔平がメジャーへ移籍し、サッカーもみんな欧州へ行きたがる。しかしソフトボールは、日本に集まってきていますから」
確かにその通りだ。昨夏の東京五輪で金メダルの原動力となった上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)や後藤希友投手(トヨタ自動車)はもちろん、日本と死闘を演じた米国代表のエースのモニカ・アボット投手(同)、可憐な容貌で日本のファンにも人気を博したアリソン・カルダ投手(Honda)までが、日本女子リーグでプレーしていたことを知る人は決して多くない。「コンテンツとして素晴らしい。ここに世界一のリーグがあることをもっと発信できれば、さらにいい選手が集まり、レベルアップできると思います」と島田チェアマンは目を輝かせる。
1979年に英語通訳として日本ハムに入団。その後、球団戦略室長として東京から北海道への本拠地移転に携わった。チーム統括本部長、常務取締役球団代表を歴任し、2018年3月に球団を定年退職。来年春に開業予定の新球場建設を主導する「株式会社北海道ボールパーク」の取締役を1年間務めた後、日本ソフトボール協会関係者に請われてソフトボール界へ。「再びスポーツに携われるのがうれしかった」と振り返る。ちなみに、現在野球界を席捲している“ビッグボス”こと日本ハム・新庄剛志監督とは、今も親交が深い。
ソフトボールを間近で見るようになり、プロ野球界で40年を過ごした島田チェアマンも驚いた。野球の塁間27.431メートルに比べ、ソフトボールは約3分の2の18.29メートル。内野手がゴロをファンブルしようものなら一塁は即セーフ。厳しい状況の中で、内野手の技術はプロ野球選手も顔負けのレベルに磨き上げられている。リードなしのルールだが、一塁走者は積極果敢に盗塁を仕掛け、それを防ぐ捕手の肩も強い。「スピードこそソフトボールの魅力だと思います。捕手が(投球を)ちょっと前に弾けば、走者はスタートを切りますし、ドンピシャの送球をしなければアウトにはならない。このハラハラドキドキ感が凄い」と語る。