「私は志が低かった」松井秀喜が感じた大谷翔平との差 驚いた“規格外”のプロ意識
人にない武器=思考の変化、壁にぶち当たるたびに「意識していた」
巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が28日、都内のホテルで「第123回日本外科学会定期学術集会」に出席。「人にない“武器”をどう身につけるのか」というテーマで講演を行った。最後は素振りも披露するなど盛況だった1時間。その中でワールドシリーズMVPにもなった松井氏が次々とメジャーで記録を打ち立てる大谷との差について、言及する場面があった。
この講演のために前日(27日)に米国ニューヨークから帰国。テーマも自分自身で考えたという。“武器”を手にいれようとしたきっかけは1993年の巨人1年目。最初のオープン戦となったヤクルト戦で石井一久投手(現・楽天監督)のカーブに見逃し三振をしたことだった。
「冗談抜きで(カーブが)ストレートに見えて、体に当たると思いました。よけたら真ん中のストライク。1軍にはもっとすごい投手がいるだろうな、とこの先が非常に心配になった。どうしたらいいのかというのがスタートでした」
見たことのないボールに衝撃を受け、対応するための試行錯誤が始まった。これが武器を手に入れる契機だ。投手が投げてから、ボールの軌道を細かいコマ送りにするイメージ作業を始めた。その1コマが長いと、軌道は分からないので、できるだけ小さくすることに努めた。
「実際はコマ送りにはできないのですが、頭の中でコマ送りにする。何度も対戦すると慣れ、自分で言うのもなんですが成長することができました。実際にこのようなカーブを見ることはなかったほど(石井一のカーブは)すごかったです。遊園地で言うならば、最初に怖い(絶叫系の)ものに乗った感じです」
米大リーグ4球団で広報兼環太平洋担当を務め、現在は江戸川大教授の広岡勲氏が聞き手だった。広岡氏がここで一つのエピソードを紹介。当時は新聞記者だったため、石井一にこの件について話を聞きに行ったことがあった。「松井は最初、大したことないと思ったけど、だんだん対策を練ってくるから、最後は投げるところがなくなってしまった」。松井氏が武器を手に入れたのは、壁にぶち当たるたびに変えていった思考によるものが大きい。