20万円かけ寝室を“大改造” 本塁打も倍増…小6逸材一家を本気にした「中田翔の金言」

中日ジュニア主砲が衝撃を受けた、中田翔氏との出会いと“練習量”
「NPBジュニアトーナメント KONAMI CUP 2025」が12月26日から29日まで、神宮球場と横浜スタジアムで開催される。多くのプロ野球選手を輩出してきたこの大会に、中日ドラゴンズジュニアの一員として挑むのが、広瀬凌大選手(6年=東海ベアーズ)だ。身長165センチ、57キロ。恵まれた体格を生かした投球に加え、小学6年生の1年間で16本塁打を放った長打力も魅力の逸材だ。
広瀬くんの自宅2階には、家族の“本気”が詰まっている。練習スペースを確保するために、寝室とクローゼットを隔てていた壁を撤去。16畳ほどの広さを作り出し、壁には防音材、ネットをはり、いつでもバットを振れる環境を整えたのだ。
「最初は普通の部屋でやっていたんですが、狭くて……。思い切って壁をなくして広げました」と母・みな子さんは語る。自宅を改造してまで野球に打ち込むようになった背景には、プロ野球で活躍したスラッガーとの偶然の出会いがあった。
意識が劇的に変わったのは、小学5年生の夏。近所のバッティングセンターで、中日を最後に今季限りで現役引退した中田翔氏に遭遇した時だった。家族とともに入店する中田氏を子どもたちが“発見”。野球に関しては素人だったというみな子さんでも、その体格を見てすぐに確信した。
勇気を出して声をかけると、中田氏は快く応じてくれたという。プライベートな時間にもかかわらず、「どうすれば中田選手みたいになれますか?」という問いに、真摯に向き合ってくれた。そこで語られた言葉がみな子さんに衝撃を与えた。「中田選手は『小6の時にはすでに身長165センチ、体重70キロあった』と言っていました。そして何より驚いたのが、練習量です。『毎日500から1000回スイングをしていた』とおっしゃっていて」。
中田氏は中学3年までに練習を休んだのは、祖母の葬儀の2日間だけ。それ以外は毎日欠かさずバットを振り続けていたという。当時、広瀬くんの自宅練習は100スイング程度。「もっとやらないとやばい。中田選手みたいになるには、もっとやらないと」。まだまだ足りないと広瀬くんの心にも火が付いた。さらにプロの基準を知った母にもスイッチが入った。「ヤバいよ、そんなんじゃドラゴンズジュニア受からないよ」。そこから、広瀬家の生活は一変する。

家族の協力で覚醒した“打撃”…小6で打率.660
自宅2階を約20万円かけて大改造し、毎日のトスバッティングは300~400球へ激増した。1箱約50球を何セットもこなすメニューは1時間以上を要するが、母や父もトス上げ役として協力。家族全員で練習を支えた。さらに体作りも徹底。毎晩2合の白米とバランスを考えた食事で、体を大きくした。
週に数回バッティングセンターへ行く時もランニングで向かい、週に一度は中学生のチームで硬式球を1時間打ち込む。広瀬くんは「最初はきつかったけど、だんだん慣れて楽になってくる」と語るが、その“慣れ”の基準は一般的な小学生の域を超えている。成果は数字にはっきりと表れ、5年生の時に8本だった本塁打は、6年生で倍の16本に増加した。
「アピールポイントは確実にヒットが打てること」と自信を持つように、打率は.660を残した。バットもドラゴンズジュニア合格を見据え、5年生の冬には高反発ウレタンバットから金属に変更。最初は思うような飛距離が出ず悩むこともあったが、努力で見事に適応してみせた。
ただ、広瀬くんへの評価は打撃だけではない。山北茂利監督からは「総合的に全部できる子。何でもレベルが高いです。こんなにできる子なんだと驚きました」と投手、遊撃手としての評価も高い。ここ数か月で球速も上がり、中心投手の1人として期待を寄せる。
憧れの中田氏が示した道標を頼りに、家族一丸となって壁を乗り越えてきた12歳。ドラゴンズのユニホームをまとい、大舞台で躍動してみせる。
(木村竜也 / Tatsuya Kimura)
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