プロ志望の大阪桐蔭エース 根尾、藤原…道標はいつも上を行く「すごかった」先輩たち
今夏エースナンバーを背負った中田惟斗投手(3年) 最初は鼻をへし折られたが…
根尾昂、藤原恭大、横川凱、柿木蓮。昨年のドラフト会議をにぎわせた大阪桐蔭から今年も1人の選手がプロ志望届を提出した。名門の「1番」を背負ってきた中田惟斗投手がプロの世界を志望するに至ったのは、1秒たりとも無駄な時間がなかった2年半を過ごし、自信を取り戻したからだった。
中田は和歌山御坊ボーイズ時代に侍ジャパンU-15日本代表に選ばれ、“スーパー中学生”として、テレビ番組に出演するなど注目される中学生だった。大阪桐蔭入学時には既に143キロを投げる速球派。もちろん、将来のエース候補として期待され、中田本人も自信を持って入学した。
しかし、その自信は史上最強と言われた1学年上の先輩たちの野球を見て、すぐに失うことになる。
「夏からメンバーに入って、甲子園で投げているって思いながら入ってきたんで、ギャップはすごかったです。少し、天狗になっていた。一つ上の先輩たちが凄くて、(鼻を)へし折られて、一からやることができました」
それでも中田は、1年秋から背番号をもらい、着実に大阪桐蔭のエースへの階段を昇っていくように思えた。先輩たちが、史上初2度目の春夏連覇を成し遂げた甲子園は共にベンチに入ることができなかったが、期待の大きかった中田は2年春に背番号10を貰い、新チームのエースになるための登板機会を与えてもらうなど、自信をつけることもできた。
新チーム初めての大会は「1」を託されたが、中田は右肩を痛めていた。肩に負担のないフォームを探して投げていたが、本来の強い球を投げるスタイルではなく、技巧派として、コントロールと変化球を上手く投げ分ける投球でごまかしながらのピッチング。最速も136キロ止まりだった。
「先輩たちが甲子園で優勝するくらいにはもう肩が痛くなって……痛みなく投げられるようになったのは、3年の春くらいからです」。エースナンバーを掴むも、右肩痛に悩まされ満足のいく登板ができないまま冬を迎えることになる。ただ、この期間が、中田がプロ志望届を提出する選手にまで成長するための最も大切な時間となった。
「もともとオーバースローだったんですけど、少し肘を下げて、スリークウォーター気味に変えました。右バッターには外が遠く見えたりするのでそこはよくなったと思います。けがをしたから一から自分を見直すことができたのでよかったです」