井口資仁を支えた出会い、そして今後…「いずれメジャーの監督もやりたい」
大学時代は小久保氏、プロ入り後は秋山氏を目標にプレー
今季限りでの現役引退を発表しているロッテ井口資仁内野手。9月24日に控えた引退試合を前に、2軍の浦和球場で最終調整を行っている。日米両国で過ごした21年に及ぶ現役生活では、3度の日本シリーズ優勝とワールドシリーズ優勝を経験。個人としても、日米通算2000本安打、NPB通算250本塁打という輝かしい記録を作った。
子供の頃から考えると、野球とは優に30年を超える付き合いになる。この間、野球を通じてさまざまな出会いがあった。「挙げ始めたらいっぱいある」というカギとなった出会いだが、「プロに入る前だったら小久保(裕紀)さん、プロに入ってからは王(貞治)会長と秋山(幸二)さんかな」と話す。
2009年秋から今年の第4回WBC終了まで、3年半にわたり侍ジャパンを率いた小久保氏は、青山学院大野球部に入った時のキャプテンだった。プロ入り後はともにダイエーでプレーする縁もあった。
「大学で小久保さんに出会ったのは、僕の中で非常に刺激になった。どのくらいできればプロに行けるんだっていう物差しが、自分の中である程度分かったというか。野球に対する取り組み方もすごかった。あの人を見て、それで過ごせた大学の4年間は大きかったですね」
大学2年の秋には東都大学野球史上唯一の3冠王に輝き、4年の時は日本代表としてアトランタ五輪に出場。東都大学リーグで記録した通算24本塁打は、今でも破られていない最多記録だ。
ダイエーに1996年ドラフト1位で指名され、満を持して飛び込んだプロの世界。ここでは王会長と秋山氏に出会った。
「王会長も秋山さんも、素晴らしい人間性の持ち主。30本塁打30盗塁を目指していた僕にとって、40本塁打40盗塁をできる秋山さんは、非常に憧れる存在でしたね。ホームランを打てて、走れて、理想でした。若い時は、とにかく秋山さんに引っ付いていた(笑)。週に何回も飯に連れていってもらいましたよ。
秋山さんって、文字通り背中で物を語って、口では多くを言わないタイプ。でも、たまにボソッと言ってくれる一言が響くんですよ。見ていて『この人みたいになりたいな』って素直に思いましたね。自分が目指す姿でした。
僕が子供の頃は西武の全盛期。小さい頃から見ていた選手って、たまに『え、この人こんな人だったの?』っていうのもあったけど(笑)、その中で秋山さんは予想を遙かに超える人でした」