殿堂入りした脇村春夫元高野連会長 プロとアマ、野球界の雪解けを推進

2004年に川島コミッショナーと「ドラフト制度に関する覚書」に調印

 脇村会長は「正式なルールに基づくプロアマ交流の原案」という書類を川島コミッショナーに手渡し、これに基づいてプロとアマがドラフト制度について協議することとなった。

 この結果、2004年1月28日、NPBと高野連は「ドラフト制度に関する覚書」に調印した。その骨子は以下の通りだ。

1.高校生をドラフトの自由獲得枠対象にしない。
2.高校生に関するドラフトの制度変更は、日本高野連に事前説明し、了解を得る。
3.高校生へのスカウトに関して、プロとアマの健全な関係を害する行為や、その恐れがある場合、双方の組織が事実関係を調べ、是正措置を講じ、それぞれが当事者や球団、野球部を指導、処置する。行為の内容によっては処分を行う。

 この覚書調印の3日後に川島コミッショナーは退任した。

 これ以降、プロ球界とアマ球界は様々な問題について、その都度協議する習慣ができた。2013年の学生野球資格回復制度の実施なども、2004年の覚書がなければあり得なかっただろう。

 脇村氏の英断が、プロアマの雪解けを大きく推進したのだ。

 この歴史的な出来事に関わった人物のうち、川島コミッショナー(故人)は2006年、古田元選手会会長は2015年に野球殿堂入りしている。高野連の脇村元会長だけが殿堂入りしていなかったが、その功績を考えると、今回の殿堂入りは、むしろ遅かったと言えるのかもしれない。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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