「投手はまだ早い」阪神エースを生んだ父親の慧眼 医師も感心「今でも珍しい」
肘治療の権威・古島弘三医師と元阪神エース・藪恵壹氏が本音対談「すごいお父さんですね」
投手にとって肩肘は消耗品だという考え方は近年、野球界の常識として広く浸透している。肩肘に過度の負担をかけないためにも、プロはもちろん高校生以下のジュニア世代から球数制限を導入する動きが進んではいるが、まだ始まったばかり。決して十分だとは言えない状況にある。
このたび「Full-Count」では、これまで計700件以上のトミー・ジョン手術を執刀した慶友整形外科病院スポーツ医学センター長の古島弘三医師と、元阪神エースでメジャー経験も持つ藪恵壹氏のオンライン対談を実施。そこで藪氏は小学生時代、二塁手だったというエピソードを披露した。プロ投手として17年の現役生活を送ったが、これだけ長いキャリアを積めたのも成長期にあたる小中学生の頃、肩肘を酷使しなかったことが1つの要因にありそうだ。
「実は、僕が小学生の時、うちの父親が監督と喧嘩したんですよ。『うちの子にはピッチャーをやらせない』って。そもそも、僕は打たれるとすぐに腹が立つ性格だったんで、ピッチャー向きではないと自分でも思っていました。それに当時は小柄だったんです。身長も中学1年生で153センチくらいで細かった。だから、父親は『まだ早い。体ができていないから投手はさせない』って、投手にさせたがった監督に反対したんです」
藪氏が小学生の頃と言えば、今から40年近く前の話だ。21世紀を迎えてもなお、過度の投球が成長を妨げ、故障に繋がる事実を受け入れられない大人がいる中で、藪氏の父はかなり先進的な考えの持ち主だったと言えそうだ。これには古島医師も「すごいお父さんですね。ちゃんと分かっていらっしゃる」と感心しきりだ。
「父親は卓球の選手で、野球は全然分かっていなかったんですけど、それでも小学校の頃はキャッチボールをしてくれました。ただ、途中から僕が力を入れて投げると『痛いから嫌だ』とやめてしまう(笑)。『まだ体ができてないんだからジャコを食え』ってよく言われましたけど、ジャコが嫌いで全然食べなくて(笑)。結局、僕が投手を始めたのは中学2年生の秋。野球部の顧問の先生が父親に『そろそろいいか?』と聞いたら、『もう大丈夫だろう』なんてやりとりをしていました。そのくらい父親が守ってくれたおかげで、怪我のリスクはかなり軽減されたと思います」
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