春夏甲子園Vもイップスも「天国から地獄まで経験した」 指導者として生きる“武器”
2010年春夏全国制覇も大学ではイップスに苦しむ
コロナ禍だからといって短時間の練習しかできなかったのは言い訳に過ぎない。島袋氏は選手たちに「気の毒だ」「可哀想」などといった慰めの言葉を一切発しなかった。
「沖縄は大体ゴールデンウィーク後に梅雨に入って明けると同時にすぐ夏の大会なので、春の大会でしっかりチームをまとめて課題を出していかないと夏には間に合わない。このチームはいろんなことをやっていく中で、何が良いのかをチョイスしていくのが方針。だから皆が納得して練習に取り組みました。量に関しては僕たちの頃のほうが多かったですね。休みも正月だけだったし……そこは今も変わってないですけど」
異なる状況下でも島袋氏は自分の代と現3年生たちを比較し、指導者として妥協のない見解を述べる。逆に言えば、それだけ彼らに期待をかけている証拠でもある。
「このチームは九州大会に行くまで県外のチームと戦ったことがなかったので、今となっては九州大会が非常に大きな意味を持ったと思います。初めて内地(本土)のチームを見て自分たちとの違いを目の当たりにし、このままじゃダメだと感じて自分たちで変わろうと自覚が芽生えたことが大きかったと思います」
島袋氏は高校1年夏からエースとして投げ続け、甲子園出場4回。3年時には甲子園で無双の投球を披露し、春夏連覇を達成した姿はまだ記憶に新しい。プロ志望届を提出すればドラフト上位指名が確実視されていたが、中央大に進学。甲子園のスターは神宮でも輝きを放った。1年春から投げ、結果を出していた。しかし、2年秋にイップスにかかり、どん底を味わう。抜群だった制球は乱れ、イニング数より与四球数が多いシーズンを過ごすなど、成長曲線は突如として止まった。