ダルビッシュら育てた高校野球の名将 若生正広さんが最後に中学生を指導した訳
高校時代はマネジャーとして若生監督から学び「礼儀、挨拶、掃除には厳しく」
「グラウンドに立つと、目が変わりますね。元気で、声も出ていました。褒めてもらったことも、こうした方がいいんじゃないかと指導いただいたこともあり、まだまだ学ぶことがあるなと感じました。ご自宅にも結構うかがって、お話を聞きました」
そう話す中町監督は高校2年の時、右手中指を骨折。靭帯も断裂する大怪我を負い、マネジャーになった。監督である若生さんのユニホームの着替えを準備したり、寮に泊まる日は布団を敷いたりと、身の回りの世話をして「いい勉強になった」という。
「礼儀、挨拶、掃除には厳しく、人として成長させてもらいました。今、こうして子どもたちと一緒にグラウンドに立って野球ができているのは、当時があったからだな、と思いますね。若生先生は結構、お茶目なところがあって。今だから言えますけど、1つ1つの行動とか、結構可愛らしいんですよ。遊び心もあって、そういうところもすごく学びました」
中町監督の1学年上でマネジャーをしており、現在、息子が東北福祉仙台北リトルシニアに所属している砂田健二さんも「今に生きていることしかない」と話す。「高校で若生先生と出会っていなければ、今ごろどうなっていたか。挨拶ひとつ、靴をそろえることひとつもできないところからのスタートだったので。教わったことは、仕事にも子育てにも生きることばかりです」と感謝する。