メディアで話題の「洗濯王子」は野球少年だった ユニホームを洗った幼き日の記憶
高校時代は甲子園とは無縁も、同郷の同い年にプロ選手もいた
――長野の同世代で有名な選手はどなたかいたのでしょうか?
「長野商に金子千尋投手(現・日本ハム)がいましたね。対戦したことはなかったですが、すごく体の線が細い印象でした」
――野球の引退と同時に予洗いとの別れも来たわけですが、そこに寂しさとか未練とかは生まれなかったですか?
「予洗いに関しては、もうしなくてもいい! というような解放感はあったかもしれないですね。悲しさとか寂しさとかは記憶にないですね」
――高校卒業後から洗濯家になるまではどのような経緯だったのでしょうか?
「私の祖父がクリーニング店を創業し、父が2代目で、そして自分が3代目です。野球をずっとやっていて(引退後も)特別、大学とかで何かを学びたいというものがなかったんです。とりあえず、家の仕事を継ごうという気持ちになりました」
――自営の方は親と「同じ道に進みたい」方と、「絶対そうはならない」方と2つに分かれると思うのですが、中村さんが自分もこの道を継ぎたいと思ったきっかけは?
「一番身近な仕事だったっていうのが大きかったです。祖父や父が仕事をしている姿は見ていました。学校から帰ってきたらアイロンをかけていたりとか、学校いく時も朝、何かを洗っていたりしていましたから、そういう記憶はありました」
――お父様のもとで働き始めたんですか?
「いえ、高校を卒業し、すぐに東京のクリーニング屋さんで仕事をさせてもらいました。両親も『1回外に出ろ』と言ったんですよね。結構、クリーニング屋さんって、丁稚奉公(でっちぼうこう)が昔からあって、職人的なところがあります。どこかのクリーニング屋さんへ修行に行って、自分の店に戻ってくるということがあります。うちの父親もそうだったようです。それに東京と地方ではブランドものの違いや、アイテム数が多い。色々な衣類を見てきた方がいいということで、東京で3年半、学んでから長野に戻りました」
――中村さんは今、洗濯家として、お客様のアドバイスをするお仕事をメインでされていますね。
「2005年から2012年までは普通にクリーニング屋さんをやっていましたが、今はYouTubeやSNSなどオンラインも活用し、アドバイスがメインですね。長野に戻ってきて1年後くらいから、ちょっとずつ始めていたのですが、洗濯についてのことが(世間に)全然、知られていないことがわかったので、2012年からはアドバイスの方をメインにしている感じです」
長野・上伊那郡にある洗濯アトリエに行く際、泥だらけのユニホームとアップシューズ、スパイク、ソックスを持参した。中村さんは汚れは洗剤で落とすものではなく“包み込む”ものと表現。包み込んだ汚れを水や雑巾・タオルへ移し替える作業を繰り返し、それぞれを綺麗にしていった。次回は元球児だった中村さんが受ける“お母さん”たちからの相談事を紹介する。
○中村祐一(なかむら・ゆういち)1984年3月1日生まれ。長野県伊那市出身。洗濯家、国家資格クリーニング師。小学3年生の頃から野球を始め、長野県内で高校までプレーした。ポジションは三塁手。高校卒業後、上京し、クリーニング店で修行。長野に帰省後、家業のクリーニング店「芳洗舎」の3代目となる。現在はインターネット上でも積極的に洗濯やクリーニングのアドバイスを送る。1男1女の父。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)
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