大学3年まで“裏方”だった選手がプロ入り 元楽天投手が生かした唯一のチャンス
大学でも2年間はメンバー外 主力相手の打撃練習でチャンス到来
投手に専念した名古屋商科大でも、主力をサポートする立場が続いた。練習についていくのがやっとの状況。最初の2年間は、ブルペンに入ることさえなかった。それでも、地道に練習してチャンスが来るのを待った。
「毎日、自分で決めたメニューを終えるまで帰りませんでした。1日の目標を決めてクリアしていきます。自分の体の状態を見て、その日にどんな練習をするか考えていました」
ブルペンで投球練習する機会がなかったため、練習メニューは自然とランニング中心になった。グラウンドの左翼と右翼のポール間を走るメニューを1日40~50本するのが、土屋さんの日課。投球するのは、フリー打撃の打撃投手くらいだった。
華やかな舞台とは縁がなかった土屋さんにチャンスが訪れたのは、3年生の時だった。同じ愛知大学リーグに所属していた日本福祉大との対戦を控え、チームが相手投手をイメージした対策を練った。当時、日本福祉大のエースは、後に中日でセットアッパーとして活躍する浅尾拓也さん。最速150キロを超える直球に対応するため、“仮想・浅尾”に指名されたのが土屋さんだった。実際のマウンドよりも2メートルほど近い距離から、主力打者に直球を投げ込む。投手有利な状況とはいえ、延べ19人の打者から17個の三振を奪った。
この練習がきっかけとなり、ブルペンで投球したり、練習試合で登板したりするチャンスを得た。そして、4年秋にはリーグ戦で勝利を挙げた。大学入学当初は打撃投手でストライクが入らず、力を入れるとバックネットに投げてしまうほどコントロールに苦しんだ土屋さんは、4年間で成長できた理由をこう語る。