オリ去った名物通訳が見てきた「バファローズの40年」 忘れぬ助っ人3人は?
記録塗り替え続けたローズ氏は「日本語を覚えるのがものすごく早かった」
○タフィ・ローズ氏(1996~2003年近鉄、2007~2009年オリックス在籍)
言わずと知れた日本プロ野球界での貢献。日本への慕情とチームメートとの仲睦まじいエピソードをいまだ口にするローズ氏は、藤田さんの目には非常にクレバーな印象に映ったという。
「来日したときは、ものすごく身体の線が細い選手でした。クリス・ドネルス選手と一緒にサイパンでキャンプをしていたのですが、当時の評価はドネルス選手の方が高かったのです。ローズ選手は身体の線が細いということで、キャンプを視察していた評論家の方も『ちょっとなぁ……』という印象を抱いていましたが、蓋を開ければ、後々の記録をほとんど塗り替えたと言ってもいいくらいの成績を残したのは、ローズ選手でした。
来日した当初は、ホームランの数もそれほど多くはなかったのですが、何年か後に身体をしっかり鍛えてからはホームランを量産するようになって、55本のホームランにつながっていました。その後巨人に移籍して、巨人を辞めてから1年間は野球をせず、ブランクがあったにも関わらず、オリックスに戻ってきてからホームランを42本、打点も96という数字を残したので、本当に驚くばかりでした。
あと、日本語を覚えるのがものすごく早かったです。来日1年目くらいから、言葉を覚えるために意味を聞いてきたり、すぐに日本の環境に馴染んで、日本の友人と過ごすことによって日本語が上達していました。本当に日本語をわかっていたんだろうなとは思いますが、インタビューのときは正確さが大事なので、通訳を通していました。でも場合によっては、インタビュアーが質問したことを私が訳す前に、先に答えてしまうことも時々ありましたね(笑)」
○アダム・ジョーンズ氏(2019~2021年オリックス在籍)
ジョーンズ氏はキャリアのラストを日本で過ごした経験と、藤田さんへの計り知れない感謝を数々のメディアで語っている。彼のTwitterでは藤田さんの愛称「Fuji」とチームを鼓舞する言葉がたびたび登場する。2年間という短い間だったが、藤田さんとの出会いが日本での思い出のひとつとなっているのだろう。
「メディアですごくよく言ってくれているみたいで、ちょっと恥ずかしいくらいです(笑)。彼は話し上手ですし、経験も豊富なので、彼と過ごした2年間は本当に中身の濃いものでした。彼はいろんな質問をしてくれて、本当にたくさん喋ったなと思います。普通、2人きりでいると話題は尽きてしまうと思うんですが、彼は好奇心旺盛で、話題が尽きることなくどんどん話をしてきてくれました。
(藤田さんと行動をともにすることが多かった)私がちょっと離れていると、名前を呼んで探してくれるということがしょっちゅうありました。それで彼の抱えている疑問について話して、本当にずっと一緒にいましたね。ただコロナ禍で、一緒に食事へ出かけられなかったことが残念でした。(ジョーンズ氏のSNSで藤田さんの退職を示唆していたがジョーンズ氏に連絡は?)いえ、伝えていません。でもどこからか伝わったのでしょうね」
(「パ・リーグ インサイト」海老原悠)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)