オリ去った名物通訳が見てきた「バファローズの40年」 忘れぬ助っ人3人は?

今季限りでオリックス通訳の任を離れた藤田義隆さん【写真:球団提供】
今季限りでオリックス通訳の任を離れた藤田義隆さん【写真:球団提供】

外国人選手を公私で支えたオリックス通訳・藤田義隆さん

 まだ実感はないようだった。今季限りでオリックス通訳の任を離れた藤田義隆さんが言う。「今のところ通常のオフと変わりはないですけど、来年のキャンプの時期になっても自宅にいるということで『退職したんだな』という実感が湧くのかなと思います」。たくわえたヒゲがトレードマーク。いつもベンチ内で、お立ち台で、外国人選手の隣に寄り添っていた姿は、来季はもうない。

 1983年、25歳で近鉄バファローズに入社。そこから定年退職を迎えた今季まで、オリックス・バファローズで通訳を務めた。勤続40年で120人以上の外国人選手を担当。昭和・平成・令和と、球史にも球団史にも残る激動の3時代を駆け抜けてきた。

 月日は多くのものを変えてきた。例えば選手との連絡手段。

「入団したころは携帯電話もなかったので、何をするにも一緒にいる必要がありました。食事に行くときも選手について行って注文する、買い物に行くときもついて行って店員さんとのやりとりをする。当時はコミュニケーションツールもないですし、それにテレビも2か国語放送がありませんでした。キャンプでアメリカの家族と電話するのも、ホテルで有料の電話を使っていました。今はインターネットで家族とつながることができるので、暮らしやすくなったと思います」

 一方で変わらないこともある。藤田さんが外国人選手とのコミュニケーションの面で意識していることや心得は、古今東西かたちを変えることはなく、そして全ての仕事に通ずるものだ。

「信頼を得るために、用具の発注など頼まれた仕事は言われたらすぐに行うこと。それに、選手の調子が悪いときにも、普段と同じように接するということは、ずっと変わらずやってきました。“任せておけば安心”と思ってもらえるようにならないと、選手の信頼は得られないと思っていたので」

 いわく、選手のマネジャーのような生活だった。日本の生活に不慣れな家族のフォローから、各種手配、選手のメンタルケアまで、選手が試合で本領を発揮できるように公私ともにサポートを行ってきた。その献身的な姿に感銘を受けたタフィ・ローズ氏、アダム・ジョーンズ氏をはじめ、日本の地を離れてもなお彼を慕う人は数多い。そして、それは球団スタッフ、日本人選手も同様だ。

最後の仕事は日本一を決めた試合…選手・スタッフへ繰り返した感謝の言葉

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY