18歳が「こんなボール投げるのか」 嫌だった“暴れる”平成の怪物から一矢報いた日|球界群像 藤井康雄#5

西武・松坂大輔から通算250号を放ったオリックス・藤井康雄【写真:共同通信社】西武・松坂大輔から通算250号を放ったオリックス・藤井康雄【写真:共同通信社】

藤井康雄氏は記憶に残る投手に村田兆治、野茂英雄、松坂大輔の名を挙げた

 阪急・オリックスで主砲として活躍し、通算282本塁打を放った藤井康雄氏は1987年から2002年までの16年間の現役生活中、様々な相手と名勝負を繰り広げた。通算満塁本塁打14本など、インパクトある働きでもファンを魅了。まさに“ミスターブルーウェーブ”だった。そんな藤井氏が最も忘れられない投手は誰か? 「一番を選ぶのは難しい。いっぱいいますから」と前置きしながら、3人の名前を挙げた。

 プロ2年目に20本塁打、3年目に30本塁打、4年目に37本塁打。藤井氏はあっという間に中軸打者になったが、そんな初期の時代にとりわけ印象深いというのが、先日亡くなった、マサカリ投法で知られたロッテ・村田兆治投手からの一打だ。「西宮球場でライト線にサヨナラヒットを打ったんです。スライダーだったと思う。あれは記憶に残ってますね」。

 憧れの選手だった。藤井氏は広島県福山市出身。広島県豊田郡本郷町(現三原市)出身の村田さんは福山電波工業(現近大福山)からプロ入りした地元の英雄だった。「地元ということで僕もずっと村田さんの成績を見てきました。サンデー兆治といわれている方と対戦してのサヨナラヒットはうれしかったですね」。雲の上の人みたいな偉大な投手からの一打は大きな自信となり、その後の成長にもつながった。

 次に出てきたのはトルネード投法の近鉄・野茂英雄投手だ。後にドジャースなどメジャーリーグでも大活躍した右腕との対戦で「3、4本はホームランを打っています」という。ただし、スタンドに叩き込んだのは「全部真っ直ぐ。フォークは打てませんでした」。メジャーの強打者たちも沈黙させた“野茂フォーク”だが、実は藤井氏は敢えてそれを狙っていなかった。「必ず1球は真っ直ぐが来る。それを仕留めるつもりで打席に入っていました」。

元オリックス・藤井康雄氏【写真:山口真司】元オリックス・藤井康雄氏【写真:山口真司】

野茂氏との対戦ではフォークを捨て、真っ直ぐに絞って打席に入った

 直球があってこそ、フォークボールは生きる。独特のトルネード投法にも「あれは別に嫌な感じはしませんでしたね。タイミングとかで悩んだこともない」と言う藤井氏は、とにかく「真っ直ぐ」に絞った。「フォークはなかなか打てない。ストライクが全部フォークだったら、しょうがないくらいに思っていましたね。だからホームランも打ちましたけど、三振も多いと思いますよ」と振り返る。これも駆け引きであり、力対力の勝負。毎回、胸躍らせての対決でもあったようだ。

 もう一人は西武・松坂大輔投手だ。「僕が晩年の頃ですけど、高校を出たばかりの投手がこんなボールを投げるのかって思いましたね」と直球、スライダーの勢い、回転、キレ、すべてに衝撃を受けたという。「相性はよくなかった。全部差し込まれていた感じでした。何が嫌かってストライクゾーンの中で暴れること。キャッチャーが外角低めに構えていてもインハイに来るのでなかなか読み切れない。それがボールになればいいけど、ストライクになるんでね」。

 もっとも、藤井氏はそんな松坂から節目の通算250号本塁打を放っている。「西武球場で、真っ直ぐをね。彼からのホームランはそれが唯一。記念号を大輔から打てたのはうれしかったですね」。のちに藤井氏がソフトバンクでコーチを務めていた時、松坂も加入。「大輔もそのホームランを『僕、よく覚えていますよ』って言ってくれましたよ」と微笑んだ。そしてエピソードは指導者時代へ。人生を変えた「4スタンス理論」との出会いがあった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

球界群像〜藤井康雄編〜

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