球団に「バカにされていた」 初の10勝も納得いかない年俸…交渉で迫った“一筆”|球界群像 牛島和彦#15
中日、ロッテでプレーした牛島和彦氏【写真:山口真司】牛島和彦氏は4年目に初の10勝も…球団の評価はシビアだった
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)はプロ4年目を終えた1983年オフの契約更改交渉で球団フロントに“猛烈要求”を突きつけた。「来年(1984年)誰から見ても納得する成績を残したら、好きなだけ(年俸を)上げてやると一筆書いてくださいって言ったんです」。いったいなぜ、こんな話になったのか。フロントの反応はどうだったのか。年に1回の契約交渉での“激熱バトル”。その背景などを本人が語った。
1983年の牛島氏は37登板、10勝8敗7セーブ、防御率4.50。開幕から守護神を務め、オールスターゲームにも初出場した。だが、1982年シーズンに続く優勝を目指したチームは7月終了時点で最下位に低迷するなど、厳しい展開。最終的には5位に終わった。そんななか牛島氏も苦しみながらも奮闘を続けた。8月5日の広島戦(ナゴヤ球場)からは先発に回って7回3失点で8勝目、8月10日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)では8回2失点で9勝目をマークした。
プロ入り初の2桁、10勝に到達したのは9月1日の巨人戦(後楽園)だ。7回2/3を3失点で白星をつかんだ。その後は先発で黒星を2つ重ねた後、リリーフに戻って、シーズンを終えた。そして迎えた契約更改交渉だった。牛島氏は2年目のオフに「来年(1982年)結果を出したら寮を出してください」と要望して、3年目に7勝4敗17セーブ、防御率1.40で優勝に貢献。約束通り、退寮を“勝ち取る”など、年に1回の交渉では言いたいことを言うタイプだった。
リーグ最多29セーブの5年目オフ…希望額を書いて「これだけください」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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