断り続けたコーチの誘い「絶対もめる」 “上下関係”に嫌気…牛島和彦にピッタリだった最下位球団|球界群像 牛島和彦#22
横浜監督時代の牛島和彦氏【写真:産経新聞社】牛島和彦氏は2005年に横浜監督就任…それまで投手コーチの依頼を断り続けた
元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は2005年から2シーズン、横浜(現DeNA)の監督を務めた。1993年にロッテで現役引退して以来のユニホームだった。「打つチームだけど、ピッチャーがって。そこを何とかしてくれって感じでしたね」。新外国人のマーク・クルーン投手を投球フォーム改造の上で守護神にするなど、投手陣整備に成功して3年連続最下位だったチームを就任1年目でAクラスの3位に引き上げた。
現役を退いてから横浜監督になるまでの11年間、牛島氏は1度もユニホームを着なかったが、話がなかったわけではない。頭脳派投手として知られただけに、投手コーチとしては、むしろ引っ張りだこだった。中日時代の恩師、権藤博氏が横浜監督だった時にも誘われ、他からも声がかかった。だが、そのすべてを断った。どこの球団でやっても指揮官と衝突するのが予測でき、それが嫌だったという。
「ピッチングコーチってピッチャーをその気にさせないと駄目なポジション。よしって気にさせないとピッチャーは力が出ないですから。監督はそれよりもまず勝つことを考える。絶対もめるんですよ。じゃあピッチングコーチが監督の気持ちを変えられるかと言ったら変えられない。監督の方が偉いですから。監督がこうだと言ったら、そうなるしかない。それで選手がへそを曲げたりしたら困るので、やっぱり監督と戦わなければいけないですからね」
32歳の若さで引退したので、当時はまだまだ選手に近い世代。自身もコンディション面で、かなり無理しながら投げてきたし、選手の気持ちもよくわかるからなおさらだった。「権藤さんは、僕がプロに入った時のコーチ。そんな方に“駄目です”とか“こうしてください”とか言えないじゃないですか。長嶋さんや原さんにしても僕はジャイアンツのユニホームを着ていたわけじゃないし、そういう部分は難しいかとその頃は思ったんですよね」。
中日、ロッテで活躍した牛島和彦氏【写真:山口真司】3年連続最下位から3位躍進…助っ人クルーンを守護神に育て上げた
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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