試合前の突然の通告に涙「不要なのか」 理解した日米文化の違い…ロッテ監督時代にトレード続発のワケ|THE KEYWORD 井口資仁 #1
インタビューに応じた井口資仁氏【写真:増田美咲】「一つのキーワード」をテーマに半生を紐解く新企画…井口資仁の『挑戦』第1回
「一つのキーワード」をテーマに、元メジャーリーガーたちに独占インタビューで迫るFull-Count+の新企画「THE KEYWORD」。初回は『挑戦』から野球人・井口資仁氏を紐解いていく。第1回は「メジャー挑戦の背景と異国への適応」に迫る。
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1964年に村上雅則氏が日本人初のメジャーリーガーとしてデビューを飾ってから62年。今季は14選手がメジャー契約を勝ち取り、“世界最高峰”の舞台で勝負している。これまでも数多くのメジャーリーガーが誕生してきたが、日本人で初めてワールドシリーズ制覇を経験したのが、ホワイトソックス、フィリーズ、パドレスでプレーした井口資仁氏だ。
ホワイトソックスでは移籍1年目に正二塁手となり、世界の頂点に立った。その後は怪我、フィリーズへのトレード、控え選手、パドレスでの戦力外、フィリーズへの復帰など多くの経験が積み重なり、日米通算21年の長いキャリアの中でも実に濃い4シーズンとなった。
「日本に帰ってきて、選手、監督とやった中で、ものすごく生きた4年間になりました」
1997年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団して以降、まずは1軍で結果を残すことに精一杯だったが、海の向こう=メジャーのことは常に頭の片隅にあった。青学大4年時にはアトランタ五輪に出場し、銀メダルを獲得。準決勝で戦った米国代表にはマーク・コッツェイ、ジェフ・ウィーバーら、後にメジャー入りして活躍した選手も多く、各国の猛者が集う“最高峰”が気になっていたのだ。
アトランタ五輪の準決勝・米国戦、本塁打を放った松中信彦を出迎える井口氏(右端)【写真:アフロ】「やっぱり少しでもレベルの高い舞台でプレーしたいっていう思いは、すべての野球選手が持っているものだと思うんですよね。世界最高峰のリーグでもあるし、日本で経験を積みながら『これでいける』と自信を持つこともできた。ただ、実際にチャレンジできるのは、ごく一部の選手。行けて良かったと思います」
日本のプロ野球選手がメジャー移籍を目指す時、メディアでは当たり前のように「メジャー挑戦」という言葉が使われる。井口氏にとっても「移籍」ではなく「挑戦」だったのだろうか。
「当時はまだメジャーに行く選手の数が少なかったし、成功するのは本当にごくわずか。だから、今の選手よりも少しハードルは高かったかもしれません。そう考えると『挑戦』でしたね。
何に対する挑戦だったか? う〜ん……色々あったとは思います。でも正直、当時はお金とかでは全然なくて、まずメジャーの舞台に立つこと、試合に出ることが挑戦だった。大学生からプロに入った時と同じくらいの『挑戦』。同じプロの野球だけど、当時はそれくらい差があった気がします。世界に挑戦する、そんな感じですよね」
「色々な経験をさせてもらった」MLB時代を振り返る井口氏【写真:増田美咲】20年以上の時を経て、今では「挑戦しない」という選択肢を取った未来は想像すらできない。「日本でプレーするという選択肢もあったとは思いますけど、やっぱりどこかで自分が挑戦しなかったことに対して、たぶん一生『なんであの時……』って悔いが残ったんじゃないかと」。悔いの残らない選択をしたい。強くそう思うきっかけがあったという。
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(佐藤直子 / Naoko Sato)
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