24年間のプロ人生で「ご褒美のような7年間」 米国で“浄化”された思い「『いずれコーチや監督に…』という欲を一掃してしまった」|THE KEYWORD 齋藤隆 #3

  • 佐藤直子
    佐藤直子 2026.05.27
  • MLB
日米通算24年、長きにわたりマウンドで腕を振り続けた齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】日米通算24年、長きにわたりマウンドで腕を振り続けた齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】

メジャー経験で変わった価値観…「挑戦」の定義とは?

 日米通算24年、長きにわたりマウンドで腕を振り続けた齋藤隆氏。1998年に横浜で日本一の歓喜を味わった後、思うような投球ができずに苦悩したキャリアは、36歳で挑んだ米球界で再び花開くことになる。

 ドジャースとのマイナー契約から始まり、レッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックスと渡り歩いたメジャーでの7年は、齋藤氏のキャリアにおいてどのような時間になったのか。また、「挑戦」という言葉をどう定義づけるのか。第3回は齋藤氏の哲学に迫る。

 メジャーだけでなくマイナーも含め、米球界で過ごした時間は「野球に対する思いを浄化してくれたような7年間だった」と言う。

「日本でも優勝できたり良い時間もあったけど、やっぱり野球は結構『つらいもの』だった。でも、メジャーに行って、チームメートに救われたり、監督やコーチのちょっとした言葉に支えられたり、そうした時間を過ごせたことが、自分の人生において大事なことでしたね。7年間のうち、前半は野球の価値観を一気に変えてくれて、後半の3、4年は新しい価値観を教えてくれた。この時間がなかったら、今の自分はなかったと思います」

興味を惹かれたメジャーのビジネス的側面「視野を広げてくれた」

 米球界に身を置くと、遠く日本から見ていた景色とは、また違ったものが見えてきた。例えば、メジャー契約とマイナー契約には大きな待遇の差がある。また、ドミニカ共和国やベネズエラなど中南米出身の選手は、母国でのアカデミーの頃から続く熾烈な競争に勝ち残った、ごく一部の選手だけがメジャーへの切符を掴んでいる。「プレーヤーとしての自分だけじゃない、もっと広く視野を広げてくれました」と話す。

「僕にとっては、ドミニカ共和国やキューバなど中南米系の選手の存在がとても大きくて。米国人がメジャーで野球をすることもすごいことだけど、米国以外の選手がメジャーで野球をすることの難しさ、危うさを感じるようになったんです。そして、米国人以上に活躍する中南米系選手に対して尊敬の念を抱くようになりました。同時に、なんで日本人はこんなに少ないんだろうと考えたり。ついつい、中南米の国と日本を照らし合わせて考える時間が増えるようになったんです」

レッドソックス時代の齋藤隆氏(2009年)【写真:アフロ】レッドソックス時代の齋藤隆氏(2009年)【写真:アフロ】

 7年間で5球団に所属したことで、チームごとに異なる、組織の運営や選手の育成方法などを知ることができた。ワールドシリーズ制覇という同じ目標を持ちながら、資金の大小や運営方針などの違いで、アプローチの仕方はそれぞれだ。「球団経営やビジネスサイドからの価値観を知ることができた。これはすごく大きなことで『いずれコーチや監督に……』という欲を一掃してしまったんです」というように、齋藤氏は指導者ではなく、フロント業務への関心を高めていった。

「ミルウォーキーやアリゾナで怪我が増えてきた時期には、リハビリという観点から球団を見るようになる。復帰までの時間には最新のリハビリ設備に驚いたり、傘下マイナーでは選手と同じようにメジャーを目指す日本人トレーナーに出会ったり。加齢とともに体が動きづらくなるのと引き換えに、野球の視野を広げてもらいました」

 引退後の2015年オフにはパドレスのフロントオフィスに入り、編成業務やチーム戦略の立案などを学びながら、日本球界との連携強化に務めた。2020年にヤクルト、2022年からはDeNAで投手コーチを務めたが、やはり今、より強く興味を惹かれるのはフロント業務だという。

「あの7年間は本当に大きな転換期。マイナー契約で『いつクビになるんだろう』というスタートから、野球の価値観を変えるほど長くやれるとは思っていなかったので、ある意味、ご褒美のような7年間になりました」

齋藤隆が定義する「挑戦」という言葉が持つ意味

 こうした“ご褒美”を手にすることができたのも、メジャーに挑戦したいという思いがあったからこそ。では、齋藤氏はこの「挑戦」という言葉をどう定義づけるのか。「難しい質問ですね……」と苦笑いしたが、束の間、思いを巡らせると「安定を求めないことですかね」と話し始めた。

米球界での7年間を振り返り、「挑戦」の意味を語った齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】米球界での7年間を振り返り、「挑戦」の意味を語った齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】

「安定を求めるなら、僕は日本に残るべきだった。でも、周りを見ても、安定を求める人はなぜか安定しないように見えて仕方がない。安定っていうものほど、不安定なものはないんじゃないかなと。本当はみんなチャレンジャーなのに、それを否定して安定を求めることは、戦っていない気がする。人生って、そういう側面を持っているんじゃないかなと思えたのは、米国に行って、自分のために野球をした7年間のおかげでもあるんです。あの頃は、一番みんなが応援してくれたり、すごいねと声を掛けてくれた。“何が違うんだろう?”って考えた時、やっぱり自分自身、戦っていたな、チャレンジしていたな、と思うんですよね」

 安定とは、物事が落ち着いていて、大きな変化がないこと。未来へ向かって時間が流れる中で「変化がない=止まっている」状態は、相対的には後退することと同義になるともいえる。これは野球選手に限らず、今を生きる誰にでも当てはまることなのかもしれない。

「人間って、どこかで安定したくなるものなのか、そちらに身を置こうとするんだけど、そうするとなぜか上手くいかない。不思議ですよね」

 齋藤氏は現在、定期的にカンボジアを訪れ、現地の人々が野球を通じて、日本や世界で活躍する機会をつくり出す活動を行っている。新たな挑戦は始まったばかり。安定を求めず、歩み続ける。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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