24年間のプロ人生で「ご褒美のような7年間」 米国で“浄化”された思い「『いずれコーチや監督に…』という欲を一掃してしまった」|THE KEYWORD 齋藤隆 #3
日米通算24年、長きにわたりマウンドで腕を振り続けた齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】メジャー経験で変わった価値観…「挑戦」の定義とは?
日米通算24年、長きにわたりマウンドで腕を振り続けた齋藤隆氏。1998年に横浜で日本一の歓喜を味わった後、思うような投球ができずに苦悩したキャリアは、36歳で挑んだ米球界で再び花開くことになる。
ドジャースとのマイナー契約から始まり、レッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックスと渡り歩いたメジャーでの7年は、齋藤氏のキャリアにおいてどのような時間になったのか。また、「挑戦」という言葉をどう定義づけるのか。第3回は齋藤氏の哲学に迫る。
メジャーだけでなくマイナーも含め、米球界で過ごした時間は「野球に対する思いを浄化してくれたような7年間だった」と言う。
「日本でも優勝できたり良い時間もあったけど、やっぱり野球は結構『つらいもの』だった。でも、メジャーに行って、チームメートに救われたり、監督やコーチのちょっとした言葉に支えられたり、そうした時間を過ごせたことが、自分の人生において大事なことでしたね。7年間のうち、前半は野球の価値観を一気に変えてくれて、後半の3、4年は新しい価値観を教えてくれた。この時間がなかったら、今の自分はなかったと思います」
興味を惹かれたメジャーのビジネス的側面「視野を広げてくれた」
米球界に身を置くと、遠く日本から見ていた景色とは、また違ったものが見えてきた。例えば、メジャー契約とマイナー契約には大きな待遇の差がある。また、ドミニカ共和国やベネズエラなど中南米出身の選手は、母国でのアカデミーの頃から続く熾烈な競争に勝ち残った、ごく一部の選手だけがメジャーへの切符を掴んでいる。「プレーヤーとしての自分だけじゃない、もっと広く視野を広げてくれました」と話す。
齋藤隆が定義する「挑戦」という言葉が持つ意味
こうした“ご褒美”を手にすることができたのも、メジャーに挑戦したいという思いがあったからこそ。では、齋藤氏はこの「挑戦」という言葉をどう定義づけるのか。「難しい質問ですね……」と苦笑いしたが、束の間、思いを巡らせると「安定を求めないことですかね」と話し始めた。
米球界での7年間を振り返り、「挑戦」の意味を語った齋藤隆氏【写真:藤岡雅樹】「安定を求めるなら、僕は日本に残るべきだった。でも、周りを見ても、安定を求める人はなぜか安定しないように見えて仕方がない。安定っていうものほど、不安定なものはないんじゃないかなと。本当はみんなチャレンジャーなのに、それを否定して安定を求めることは、戦っていない気がする。人生って、そういう側面を持っているんじゃないかなと思えたのは、米国に行って、自分のために野球をした7年間のおかげでもあるんです。あの頃は、一番みんなが応援してくれたり、すごいねと声を掛けてくれた。“何が違うんだろう?”って考えた時、やっぱり自分自身、戦っていたな、チャレンジしていたな、と思うんですよね」
安定とは、物事が落ち着いていて、大きな変化がないこと。未来へ向かって時間が流れる中で「変化がない=止まっている」状態は、相対的には後退することと同義になるともいえる。これは野球選手に限らず、今を生きる誰にでも当てはまることなのかもしれない。
(佐藤直子 / Naoko Sato)
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