1998年に日本一を経験、2005年オフにメジャー挑戦を模索
36歳で海を渡り、その翌年に当時の日本最速となる159キロを記録。そして、45歳のとき、生まれ育った仙台で現役生活を終えた。現在、野球解説者として幅広いフィールドで活躍する齋藤隆氏の野球人生は、まるでドラマのような事実にあふれている。特に米国でプレーした7シーズンは、齋藤氏の野球観を変える時間になったという。
野球人・齋藤隆が5球団で過ごした7年を『挑戦』をキーワードに紐解くシリーズ。第1回は「メジャー挑戦の真義」だ。
宮城の強豪・東北高から名門・東北福祉大を経て、1992年にドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団した。高校3年の夏は一塁手として甲子園に出場し、投手に転向したのは大学2年のとき。その後、瞬く間に大学球界を代表する投手へと成長し、4年時の1991年には、全日本大学野球選手権大会でチームが初優勝する原動力になった。
プロ入り後も先発ローテーションの一角を担い、1998年のリーグ優勝&日本一に貢献。守護神としても活躍し、NPB15年で87勝80敗48セーブ、防御率3.80の成績を残した。2005年オフに自由契約となりメジャー移籍の道を探る中、つかんだチャンスがドジャースとのマイナー契約だった。
日本人選手がメジャー移籍する際は「メジャー挑戦」という言葉がよく使われるが、齋藤氏は「僕の場合は、まさに『挑戦』になってしまった、かな」と懐かしむような表情を浮かべた。招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに参加し、開幕メジャーを目指す毎日は「文字どおり、ただただ『挑戦しなきゃ』という状況だった」と振り返る。
「マイナー契約がそうさせたというか、メジャーに限らず、すべてに対して日々挑戦だったんですよね。意識して、厳しく自分と向き合ったわけではないけれど、それを避けては通れない厳しいところではありました。自分の野球に対する挑戦になるはずだったけれど、マイナー契約という現実と向き合うために、必要以上にチャレンジ精神を強く持たなければいけない状況でした」
崖っぷちに立つ緊張感に満ちた毎日「なぜか楽しさもあった」
メジャーは良くも悪くも、非常にドライでビジネス的な側面を併せ持つ。メジャー契約とマイナー契約では待遇に雲泥の差があり、招待選手はチームの求める基準に達していないと判断されれば、即マイナーキャンプ行きとなる。朝、クラブハウスに到着すると、一つ、また一つとロッカーが空っぽになっていく“現実”があった。「自分はいつ呼ばれるんだろう。どうなるんだろう」と不安になるのも当然だ。ただ、裏を返せば、実力次第で大抜擢もある。齋藤氏にとってのスプリングトレーニングは、まさに表裏一体の場だった。
「当時の自分に『チャレンジ』という意識はなく、ただただ崖っぷちに立っている、誰かにポンと触れられればアッという間に落ちてしまう、そんなギリギリのところにいることだけは分かっていました。当然ながら緊張もあるのだけど、なぜか楽しさもあって。打たれればクビ、終わりなんだっていう、ギリギリのところで野球をするのが初めてだったので。チャンスのようなピンチ、ピンチのようなチャンス、という何とも言えない感覚がずっと続いていましたね」
口調が徐々に熱を帯びてくる。思い出すことで、体の芯をキュッと掴まれたような緊張と興奮がない交ぜになった感覚が蘇ったのだろう。「あれはもう2度と味わえない。味わいたいかって言われると、すごく難しい(苦笑)。でも、あの感じはもうないなって思うんですよね。だから、あの時間は今、自分にとって財産というか、一番いい時間になったと思っています」と真っ直ぐ視線を投げた。
「何色にも何物にも染まれる準備だけはあった」
正直なところ、マイナーからメジャーを目指す状況がどれほど過酷なものかを知らずに海を渡った。「何も知らなかったことが、自分の場合はうまくいったのかもしれません」と話すが、同時に「何色にも何物にも染まれる準備だけはあった」と言葉を続ける。
「ドジャースに入ったから、ドジャースの野球に染まる準備だったけれど、そんなきれいごとや簡単な話ではなかった。練習でも、試合みたいに抑えなければいけない日々も初めてだったし、マイナー契約だから『何でもやります』と言わなければいけなかった。マイナーキャンプに行くように言われた後も、マイナーで練習をした後で、メジャーのオープン戦に必ず同行。毎試合、エマージェンシー・ピッチャー(緊急登板役)として準備するものの、いつ投げるのかも分からず、結局投げずに終わるという(苦笑)。すべてが新鮮でしたが、受け入れる作業が追いつかないくらい、次から次へと(物事が)やってくる。全力で毎日突っ走っているようなイメージでしたね」
自分の知らないことや想像を超えることが起きた時、人は少なからずストレスを感じるものだ。ましてや、日本ではなく米国での話。英語での会話が飛び交う中、その意味が理解できずに「からかわれたのか?」「なんか怒ってる?」「もしかしたら自分の出番か?」と、頭上に「???」が並んだことは数えきれない。
そんな状況でも「それが嫌だとか、できないとか、ネガティブな感情には一切ならなかった。むしろ笑い話にできるので」と前向きに変換できるのが、齋藤氏の強みといえるだろう。
「驚くことを極端にしないように、どこかで冷静に、自分を俯瞰するようにしていましたね」
そうして掴み取ったのが、開幕直後のメジャー昇格だった。
(佐藤直子 / Naoko Sato)