元巨人の150キロ右腕が歩むセカンドキャリア なぜ“うどん店”に挑んだのか?
右肩痛で24歳の若さで引退すると「考えるより動いた方がいい」とすぐ行動
2000年に巨人の19歳高卒ルーキーとして颯爽と1軍デビューを飾り、その後もイケメンのリリーフ投手として活躍した條辺剛(じょうべ・つよし)氏。右肩を痛め24歳の若さで現役引退後、本場・香川県でうどん作りを1年半修業し、2008年に埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺」をオープンさせた。いまや人気店として知られている。マウンドから厨房へ活躍の場を移した條辺氏が、波乱万丈の半生を振り返る第2回。
プロ1年目に1軍デビューし、2年目にはリリーフで46試合に登板し7勝8敗6セーブの好成績を残した條辺氏だが、常に右肩痛と背中合わせ。結局プロ生活は6年の“短命”に終わった。
「あれこれ考えるより動いた方がいい」。2005年限りで現役引退を決意した直後、漠然と飲食店経営に興味を抱いていた條辺氏は早速、知人が経営する宮崎県の製麺工場に飛び、うどん作りを経験してみた。
「小麦粉に水を入れてこねる……うどん作りの過程が新鮮で、すごくおもしろかった」とのめり込んだ。もともと、條辺氏の父親はサラリーマン生活の傍ら調理師免許を取得、父方の祖母は大阪市でお好み焼き店を経営する“血筋”だった。