「自宅は駄目だって言ってるだろ!」居場所わからず…犯した禁じ手 走り去る車を見つめ痛感した情けなさ|私だけが知っている松井秀喜#8
番記者が感じた松井秀喜の素顔【写真:アフロ】2011年オフは無所属のまま越年…それでも変わらなかった松井秀喜
当時の担当記者たちが「未発表の記憶」を回想するFull-Count+の連載「私だけが知っている松井秀喜」。#8の筆者は清水友博。2011年から2012年にかけて、キャリアの終章に寄り添い続けた「下っ端番記者」だからこそ見えた松井秀喜の素顔――。今回は「犯した禁じ手と、触れた優しさ」。(敬称略)
2011年にアスレチックスでのシーズンを終えた松井は、2年連続でフリーエージェント(FA)となった。そして、次の所属先が決まらないまま日本へ帰国。現役生活で初めて、無所属で年を越すことになった。予想されていた状況だったとはいえ、その心中は穏やかではなかったはずだ。
ただ、帰国の際に空港へ集まった報道陣を前にした松井は、移籍先の選び方に特別なこだわりはないこと、じっくりと状況を見極めていく考えであることを、落ち着いた口調で語った。
筆者はこの場で一つ質問をした。全30球団が移籍先の候補になりうるか、というものだ。当時、ナ・リーグにはDH制がなかった。DHとして起用されることが多くなっていた松井にとって、ナ・リーグ球団でのプレーは出場機会が大きく制限されることを意味する。代打中心の起用法になるかもしれない。それでも選択肢から外さないのか――。そこを確認したかったが、答えは明確だった。全球団OKだと。米国10年目のシーズンが、さらに厳しい環境になることは明らかだった。
年を越すため、大晦日に故郷の石川へ帰省した松井のもとにも、報道陣が詰めかけた。「家族とゆっくり過ごしたい」と淡々と話す姿は、どこか静かな覚悟をまとっているように見えた。
空港での対応も、石川での対応も、毎年恒例の光景ではある。しかしその年は状況がかなり違っていた。次の所属先も決まらないまま年を越し、自身の去就が宙に浮いている。報道陣を避けたくなって当然の立場にいながら、松井はそうしなかった。どんな状況でも、やはり変わらなかった。
問題は、故郷で過ごす時間を終えた後のことだった。松井が石川から東京へ戻ってきたということは、担当記者にとっては、自主トレの張り込みが再開されることを意味する。例年、松井はオフシーズンになると都内のグラウンドにふらりと姿を現し、黙々とトレーニングをこなしていた。このオフも例外ではないはずだった。真冬のグラウンドで、いつ来るかも分からない取材対象をひたすら待ち続ける張り込み生活が、また始まった。
ところが、1月も後半に差し掛かった頃から、異変が起き始めた。
グラウンドに現れなくなった松井…居場所つかめず募る焦り
(清水友博 / Tomohiro Shimizu)
私だけが知っている松井秀喜
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