相手が恐れるパ・リーグ“敬遠王”は誰? 過去10年で見る強打者は

本人の調子、周囲の状況…敬遠が増減する理由はさまざま

 まず、1つ目の敬遠は4月7日のソフトバンク戦で、当時の嶋は打率.391と好調だった。勝負を避けたくなるのも当然であろう。2つ目は6月3日のヤクルト戦で、指名打者制のないセ・リーグ主催の交流戦だった。投手の前の8番を打っていた試合でもあり、より確実に打ち取りやすい投手との勝負を選択するために歩かされている。

 シーズン3つ目の敬遠は、7月31日のオリックス戦だった。その場面は同点の延長10回表、1死二、三塁という緊迫したもの。一塁が空いていたため、塁を埋める意味もあって敬遠されている。そして、シーズン最後の敬遠となった8月15日の日本ハム戦も、同点の延長10回裏、無死二塁という一打サヨナラの場面で、ここでも塁を埋めるために歩かされている。以上のように、さまざまな巡り合わせによって敬遠が増えた稀有な例と言えそうだ。

 また、特定の月に多くの敬遠を受けた選手が多かったのも特徴の一つ。2011年の井口氏は5月までは打率.365、OPS1.122と、先述の統一球の影響を全く感じさせない打撃を見せていた。月間打率.386と絶好調だった5月には、月間で3個の敬遠四球を記録している。しかし、夏の訪れとともに状態を崩し、7月から2か月連続で打率1割台と絶不調に。この年、5月以外に記録した敬遠は1つのみだった。やはり、当該打者の調子の波によって敬遠の数が増減する面はありそうだ。

 また、後ろを打つ打者の調子によって敬遠の数が変化するケースもある。2014年の糸井は5月と6月にそれぞれ2個、7月に3個と、3カ月だけでその年記録した全ての敬遠四球を受けた。一方、4月までに10本塁打と絶好調で、糸井選手の後を打つ4番として活躍していたペーニャは、5月に打率.217、6月に打率.250、7月に打率.198と状態を落としていき、糸井に4番を譲ることも増えていった。吉田正のケースと同様に、糸井の場合も少なからず影響はあったと考えられそうだ。

「敬遠」を読み解くと、選手とチームの双方に対する理解が深まる?

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