打線のおかげ、エースの意地と様々… パ・リーグ「最高勝率」受賞者の傾向を振り返る
苦しい時代を過ごしたロッテも、出色の戦績を残した投手を複数輩出
次に、1990年代後半から2000年代にかけてのロッテを支え、ファンからも多くの支持を集めた2人の右腕の例についても紹介していきたい。
○1998年
黒木知宏(ロッテ)
31試合 13勝9敗 勝率.591 197回 124奪三振 防御率3.29
チーム打撃成績(シーズン順位:6位)
135試合 打率.271(1) 581得点(5) 1240安打 102本塁打 80盗塁
○2000年
小野晋吾氏(ロッテ)
26試合 13勝5敗 勝率.722 167回 96奪三振 防御率3.45
チーム打撃成績(シーズン順位:5位)
135試合 打率.259(5) 622得点(4) 1175安打 109本塁打 88盗塁
1998年といえば、ロッテが現在も残るシーズン18連敗というNPBワースト記録を作ってしまった年だ。「魂のエース」と呼ばれた黒木氏はそんな中でも奮闘を見せたが、抑えへの配置転換の失敗など、チーム事情に振り回された面もあった。チームも大型連敗が始まるまではリーグ優勝も狙える位置につけていたが、悪夢の連敗を境に大きく失速。打率はリーグトップながら得点は同5位と、決め手を欠いたのが数字からも見て取れる。
2000年にブレイクを果たした小野氏は同年に日曜日の登板が多かったこともあり、かつてオリオンズのエースとして活躍した村田兆治氏になぞらえ、「サンデー晋吾」の愛称で親しまれた。同年はエースの黒木氏がケガの影響で防御率5.18と絶不調に陥り、チーム防御率も4.73でリーグ最下位。苦しいチーム状態の中で、最高勝率に加え、勝利数と防御率もそれぞれリーグ2位と素晴らしい活躍を見せた小野氏の投球はひときわ輝いていた。