ロッテの「ゴールデンイヤー」再び! Aクラス率80%を誇る千葉移転後の“5年周期”

2005年はバレンタイン政権復活で西岡、今江ら台頭しリーグ優勝・日本一

○2005年(84勝49敗3分:リーグ優勝・日本一)

 1995年の躍進にも貢献したバレンタイン監督が再び指揮を執り始めてから2シーズン目を迎えたこの年は、西岡剛内野手や今江敏晃氏といった若手と、福浦和也氏、里崎智也氏、サブロー氏といった選手として脂の乗り切った中堅の選手たちがうまく融合。試合ごとに打順を組み替えるバレンタイン監督の選手起用も効果的に作用し、チーム総得点は2位のソフトバンクに82点の大差をつけて、リーグ最高の数字を記録していた。

 投手陣に関しても、シーズン連続2桁勝利を4年連続に更新したエースの清水直行氏、キャリアハイの成績を残した渡辺俊介氏を中心に、安定した投球内容でチームを支えた小林宏之氏、貴重な左の先発として存在感を発揮したダン・セラフィニ氏、先発とリリーフの双方でチームを支えた小野晋吾氏、新人ながら10勝をマークして同年の新人王にも輝いた久保康友氏と、先発陣には実力派の投手が多く揃っていた。

 リリーフでは、藤田宗一氏、薮田安彦氏、小林雅英氏の3人からなる勝ちパターンの3投手がフル回転を見せ、僅差の試合でも逃げ切る強さを発揮。阪神の「JFK」になぞらえ「YFK」と呼ばれた勝利の方程式はチームに多くの白星をもたらし、小林雅氏は自身唯一となる最多セーブのタイトルも獲得している。

 先述した6人の先発投手はいずれも2桁勝利に到達しており、まさに投手王国と呼べるだけの多士済々のスターターを擁していたといえよう。打線でも今江氏、福浦氏、堀幸一氏、マット・フランコ氏と3割打者を4人輩出したことからも、投打ともにバランスの取れた強さを誇っていたことがうかがえる。

 ペナントレースではソフトバンクとのハイレベルなデッドヒートの末、勝率.632という数字を記録しながら4.5ゲーム差で2位に甘んじた。当時のレギュレーションでは5ゲーム差以上がついた場合は首位チームに1勝のアドバンテージが与えられるルールとなっており、「0.5ゲーム差」でそのアドバンテージを免れたことが、後に大きな意味を持ってくることになる。

 プレーオフの第1ステージではシーズン勝率で大きく引き離していた3位の西武を2連勝で退け、その勢いのまま乗り込んだ敵地・福岡Yahoo!JAPANドーム(当時)でも2連勝。ポストシーズン無敗のままリーグ優勝に王手をかけると、第3戦でも4点リードのまま9回を迎えた。ところが、抑えの小林雅氏がまさかの4失点で追いつかれ、チームも延長戦で逆転負け。続く第4戦も落とし、一気に崖っぷちまで追い込まれることとなる。

 しかし、第5戦では序盤に2点を先行されながらも、8回に里崎氏の逆転打で試合をひっくり返し、最終回は小林雅氏が無失点投球で雪辱を果たして、31年ぶりとなるパ・リーグ制覇を達成。日本シリーズでもチームの勢いは止まることなく、セ・リーグ王者の阪神を相手に3試合連続10得点と圧倒。シリーズを通じて1度もリードを許すことなく戦い抜き、同じく31年ぶりとなる日本一の歓喜を味わった。

2010年はリーグ3位からの“下克上日本一”

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY