野球は日曜だけ、三段跳びは全国3位 ソフトバンク1位のイヒネ・イツア、恩師も驚いた身体能力
「難しさが新鮮」サッカー少年から野球の道へ バスケと“二刀流”の時期も
フィジカルを重視する矢幡真也監督の指導方針もあって、イヒネの体は変わっていった。モデル体型から野球選手の体へ。体重は82キロと16キロも増えた。打球の鋭さも増していった。入学当初110キロだったスイングスピードは150キロまで上昇。飛距離も伸び、本塁打が出るようになった。
「いつも監督にはプロに行きたいなら、言葉だけではなく行動で示すように言われていました。高校1年からレギュラーだったわけではないので、他の選手よりプラスで練習する意識を持っていました」
運動能力は子どもの頃から、ずば抜けていた。ただ、運命の歯車が少しずれていたら、別の競技で高校トップクラスの選手になっていたかもしれない。野球チームに入ったのは小学3年生の時。友達に誘われて練習体験に参加した。それまでバットやグラブを扱ったことはなかった。両親はサッカーが盛んなナイジェリア出身。物心がついた時には、イヒネはサッカーボールを蹴っていたという。野球を初体験した当時、探していたのはサッカーチームだった。
野球チームの練習体験では上手くバットにボールが当たらず、ゴロの捕球もできなかった。だが、それが楽しかった。
「難しさが新鮮でした。野球をやろうと決めました」
小学校高学年になるとバスケットボールのチームに勧誘され、二足のわらじを履いた時期もあった。バスケットの試合に出場すると、おもしろいようにシュートが決まり、リバウンドでも存在感は抜群だった。イヒネは「土曜はバスケットの試合に出て、日曜は野球に出場した時もありました。バスケットは自分がいないとチームは苦戦しているようでした」と振り返る。