帰国して絶句「チームに籍がなかった」 伝説の両投げ投手…待っていた“幽霊扱い”

現在は「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田豊年氏【写真:山口真司】
現在は「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田豊年氏【写真:山口真司】

横浜大洋から誘いも投手コーチと「ちょっと言い合いみたいになって…」

 一気に気持ちも萎えていった。オープン戦で結果を出せず、2軍に落ちた時には「もう野球では駄目だと思った」という。秋ごろには知り合いに「ゴルフでもやったらどうか」と言われた。もっとも、それまでゴルフはあまり好きではなく、ラウンドしても180を叩いたりしていたのだが……。実は横浜大洋からも誘われていた。「同じ高知県出身の須藤(豊)監督と高橋(良正)投手コーチとは大阪で食事もしました」。だが、これはきっぱり断った。

「高橋さんに、まずコントロール、制球力をつけるための練習をしなきゃいけないと延々と言われたけど、僕は力で押しますと答えて、ちょっと言い合いみたいにもなったんです」。近田氏はそう明かしながら「僕の方が間違っていました。高橋さんの方が正しかったです」と反省する。現在は「駅前ゴルフスクール」の校長。「だって今、高橋さんが言っていたことと全く同じことを教えてますからね。ゴルフもうまくなるためにはとにかくコントロールをよくすることってね」。

 当時はそれに気づけなかった。横浜大洋を断り「知り合いがゴルフって言ってたなぁ。よし、ゴルフをやってみよう」と簡単に決めた。阪神には自ら退団を伝えた。「明日からゴルフをやります」と……。近田氏のゴルフの腕前を知っていた人はみんな心配した。高知県出身の江本孟紀氏には「大丈夫か、お前、一番下手やぞ」と言われたという。実際、深く考えていなかったのかもしれない。「本当にゴルフを知らなかったから目指そうと思ったんでしょうね」。

 ゴルフ界への転身。その後、近田氏はプレーヤーではなく指導者として、力を発揮していくことになるが、野球がこれで終わったわけではなかった。1991年オフに阪神で現役を終えてから、10年後あたりから、また根っからの野球好きの本性がウズウズと……。なんとNPB復帰を目指して、ある球団の監督に接触していた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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