1日2000スイングも「簡単だろ」 2軍で鳴かず飛ばずも即2冠王…人生変えた鬼コーチ

元広島・長内孝氏【写真:山口真司】
元広島・長内孝氏【写真:山口真司】

長内孝氏の素質を開花させた山本一義氏…地獄の猛練習を続けた

 恩師との出会いが流れを変えた。元広島の強打者・長内孝氏にとってプロ2年目(1977年)のオフは大きな転機だった。広島1軍コーチだった山本一義氏が2軍打撃コーチに就任したことだ。想像を絶する猛練習の日々がスタートし、そこから打撃力が格段とアップしていった。「僕みたいなのでも、やればできるんだって思った時だったですねぇ……」。まさに“練習は嘘をつかない”を実感したという。

 長内氏はプロ1年目は2軍で本塁打も打点もゼロ。2年目は2軍で3本塁打を放ったが、崇徳高から広島入りした1年後輩の山崎隆造氏や小川達明氏よりも成績は下。そんな時、山本一義コーチにこう言われたという。「おい、お前、来年からファームで4番を打たす!」。当時、広島市西区にあった三篠練習場でのことだった。「確か一義さんは練習もティーしか見ていなかったと思う。それがいきなりですからね。何言ってるの、このおっさん、って思いましたよ」。

 戸惑う長内氏にはお構いなしに、山本コーチは真剣な表情でさらにこう続けた。「その代わり、ワシについてこい! ワシの言う通りにせい! 2軍でホームラン王と打点王を取らせる!」。長内氏は「はぁ」と答えるしかなかったそうだ。そして、地獄の猛練習が始まった。「全体練習で1000振る。それが終わったら、200か300くらい振る。寮に帰ったら、室内練習場で700くらい連続でティーをカンカンカンって打つ」。まだ終わりではない。

「寝る前には寮の1階の大きな鏡の前で、ていねいに500スイングする。夜10時ごろから振り始めたら1時間半から2時間はかかる。それを毎日続けた」。山本コーチの指導は熱かった。「次の日が練習休みで夜の500スイングをした後に徹夜で麻雀をした時があった。それを寮のおばちゃんが一義さんに言った。その休みの日の夜9時頃に一義さんから寮に電話がかかってきて『寮のおばちゃんに迷惑をかけやがって、今から朝まで俺が行くまで振っておけ』って……」。

 長内氏は「わかりました」と返事をして、そこから寮の鏡の前でスイングしたという。「朝の7時頃まで振りましたよ。寝ずに振っていたら、おばちゃんがごそごそ起きてきた。チクられてクソって思ったし、掃除とか朝飯の支度とかあるところで嫌だなって部屋に帰ったんです。そしたら、8時すぎに一義さんが部屋に来て『おい、振ってないじゃないか』って」。長内氏は「おばちゃんが起きてきたので戻りました」と説明したが、聞き入れてもらえなかったという。

3年目に2軍で2冠王「2年目までは考えられなかったこと」

「一義さんに『俺が行くまで振っていたら、今日は練習なしにしてやろうと思ったけど、駄目だ。練習に出て来い!』と言われて、結局、一睡もせずに、その日も練習しましたよ」。夜の9時から朝7時まで10時間。2時間で500スイングと計算すれば、2500スイングにもなる。それから、また通常の練習となったわけだから、すさまじい練習量としかいいようがない。令和の今では考えられないやり方だろう。

「でも、やれと言われたら、やらなきゃいけない時代だったからね」と長内氏は事もなげに振り返る。なにしろ、その結果、打撃力は見違えるようになった。前年まで低空飛行だった2軍成績がグンと上昇した。「面白いように打てるようになったわけですよ」。山本コーチの指導の下、3年目シーズンの1978年、長内氏はウエスタン・リーグの本塁打王と打点王の2冠。「一義さんの言った通りになったからね。2年目までは考えられなかったことですよ」。

 それでも山本コーチは2軍では褒めてくれなかった。まだ1軍に呼ばれていなかったからで「1軍でクリーンアップを打つ。1軍に行ったらすぐそこで打てるような選手になれる」とさらにハッパをかけられた。「これからは(全体練習以外に)1000振れ。朝飯食って300、練習から帰ってきて特打のあとに300、夜寝る前に400。簡単だろ」とノルマも追加されたという。

 その後、時間はかかったものの、長内氏は山本一義氏の予告通り、1軍でクリーンアップを打つ選手になった。「一義さんが1軍とかで生きるきっかけを作ってくれました」ととても感謝している。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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