ドラ1の秘蔵っ子がトレード「悲しかったなぁ」 中日トップとの“亀裂”…法元英明氏に募る後悔|球界群像 法元英明#11
法元英明氏(左)と田尾安志氏【写真:本人提供】法元英明氏が担当した初のドラ1は田尾安志…事前接触は自重した
中日元外野手で、伝説のスカウト・法元英明(ほうもと・ひであき)氏が担当した選手で、初めてドラフト1位になったのが同志社大の田尾安志外野手(現・野球評論家)だ。1975年、法元氏がスカウト7年目のことだったが「田尾とは入団の時のいきさつはそんなにないんだよね」と話す。それもそのはずだった。指名するまで、敢えて意図的に遠巻きに見ていたからだ。なぜ、そうしたのか。そこには法元流の考え方があった。
中日、西武、阪神で活躍し、楽天の初代監督も務めた田尾は大学時代、投手と野手の二刀流選手だったが、中日は最初から打者として評価していた。法元氏は「あの時のドラフト1位は投手なら中央大の田村(政雄)、打者なら田尾と決まっていた」と明かす。「中日には谷沢(健一)とか藤波(行雄)とか谷木(恭平)とか左の外野手がいたんだけど、それでも田尾を推す僕の意見に(球団の)総務らが賛成してくれたんですよ」。
ただし、優先順位は投手の中大・田村が上。「田村がアカンかったら、田尾となっていた」という。そして迎えた運命の日。1975年11月18日に東京グランドホテルで開催されたドラフト会議は、抽選で12球団の指名順を決める方式で中日は9番クジだった。結果、中大・田村は3番クジの大洋に持っていかれ、中日は打者ナンバーワン評価の田尾を指名できた。その瞬間、法元氏担当の初のドラ1選手が誕生したのだ。
田尾は1985年に西武へトレード移籍「あの時は悲しかったなぁ」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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