ドラ1入団も「口で言えないようなつらさ」 思わぬ“洗礼”…阪神右腕が抱えた苦悩|球界群像 上田二朗#12
阪神で活躍した上田二朗氏【写真:山口真司】上田二朗氏は東海大から1969年ドラフト1位で阪神に入団
屈辱からのスタートだった。1969年ドラフト1位で阪神に入団した右腕・上田二朗氏(野球評論家)はプロ1年目(1970年)の高知・安芸キャンプでいきなり悔しい思いをした。「“ファンは太田幸司(投手、三沢→近鉄1位)と田淵(幸一捕手)のバッテリーを望んでいた”と新聞に書かれたんです」。阪神は村山実監督兼投手の意向で、1位を太田から変更したが、キャンプで蒸し返された。「口で言えないようなつらさだった」と打ち明けた。
阪神にドラフト1位で入団した上田氏は、東海大初のプロ野球選手だ。首都大学リーグで通算39勝、大学4年の1969年には全日本選手権初制覇の立役者になった実績を引っ提げてのプロ入り。背番号は16に決まった。「ひとつ年下の(1966年の第1次ドラフト2位で)釧路江南高から入った(投手の)平山(英雄)君がつけていた番号だった。私は『空いている番号でいいです』と言ったんですが、村山さんが『16番を』って言ったらしいです」。
「16」に関して上田氏は笑いながら、こう付け加えた。「ロッカールームに行ったら平山が『誰や今度の新人で、俺の背番号取りよったヤツは』と言ったんですよ。マネジャーに『おい、平山、何言っているねん』と言われ『冗談です。冗談です』と答えていたけど、私も『すまんかったね。挨拶もしなくて悪かった。これは俺が望んだわけじゃない。球団から16番をつけろってことで』と話しました。平山は『いいんです。いいんです。上田さん。冗談ですから』と言っていましたけどね」。
選手兼任監督の村山実氏に感謝「すごくフォローしてくれた」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜上田二朗編〜
理由は「僕を見てくれない」 練習中断に衝撃「ちょっと待って」…阪神コーチが得た教訓|球界群像 上田二朗#22
阪神右腕が悟った終焉の時 “侮り”が生んだ絶望、相手に伝えた「お前のせいで辞めたんや」|球界群像 上田二朗#21
“因縁の監督”に聞いた冷遇の真相 阪神退団も…またも共闘「考えられません」|球界群像 上田二朗#20
20点差で敗戦処理、元エースが味わった“冷遇” 新監督に相手にされず…待っていたトレード|球界群像 上田二朗#19
2桁勝利でも敗戦処理、間隔空く登板 阪神右腕が抱いた不満「何で投げさせてくれないのか」|球界群像 上田二朗#18
虎党の不満爆発→甲子園で大暴動…監督に「どうしてですか」、敵軍まで驚いた決断|球界群像 上田二朗#17
長嶋茂雄を前に「嫌です」 名捕手の提案をキッパリ拒否も…直後に狂った手元|球界群像 上田二朗#16
偶然が生んだ新球で年間“22勝”「それは無理無理…」 きっかけは最強捕手の言葉|球界群像 上田二朗#15
阪神監督から“引っ越し指令”「来い!」 ド緊張の同伴通勤…厳しかった同僚の視線|球界群像 上田二朗#14
ドラ1入団→前半戦7勝も「丸裸にされた」 球宴中に巨人捕手から“呼び出し”「受けてやる」|球界群像 上田二朗#13