20点差で敗戦処理、元エースが味わった“冷遇” 新監督に相手にされず…待っていたトレード|球界群像 上田二朗#19
阪神時代の上田二朗氏【写真提供:産経新聞社】上田二朗氏が苦しんだ1979年…ブレイザー体制となり登板機会が激減
1973年に阪神で22勝を挙げたアンダースロー右腕の上田二朗氏(野球評論家)は、プロ10年目(1979年)のオフに南海へ移籍した。金銭トレードだった。阪神がドン・ブレイザー監督体制になって、登板機会が激減。この年はすべてリリーフの15登板で0勝0敗、防御率4.05に終わっていた。同時期に安仁屋宗八投手が広島に、谷村智啓投手が阪急に移籍したが「私たち3人は(首脳陣から)全然、相手にもしてもらえませんでした」と無念そうに話した。
上田氏にとって、苦しい時期だった。トレード前年の1978年は3勝10敗、防御率5.72。後藤次男監督率いる阪神は41勝80敗9分で、5位・中日から10.5ゲーム差をつけられて球団初の最下位に沈んだ。「この年は他のピッチャーもみんな勝てない年だったんじゃないかと思う。厳しい年でした」。2桁勝利は11勝の江本孟紀投手だけ。逆に2桁敗戦投手は13敗の江本も含めて、5人も出る惨状だった。
オフには元南海ヘッドコーチで、1978年は広島ヘッドコーチを務めていたブレイザー氏が監督に就任。主砲の田淵幸一捕手は古沢憲司投手とともに、真弓明信内野手、若菜嘉晴捕手、竹之内雅史内野手、竹田和史投手との2対4の交換トレードでクラウンから変わったばかりの西武へ移籍した。11月22日のドラフト会議では1位指名で南海、近鉄、ロッテとの4球団競合の末、抽選で江川卓投手(作新学院職員)の交渉権を獲得した。
先発を外れ救援で15登板のみ…オフに南海へ金銭トレード
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜上田二朗編〜
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