下位指名のはずが…トイレでまさかのドラ1に“昇格” プロ拒否が一転、水面下での攻防|球界群像 加藤伸一#6
南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】加藤伸一氏は1983年ドラフトで南海から“外れ1位”で指名された
1983年のドラフト会議で倉吉北・加藤伸一投手(現・KMGホールディングス硬式野球部監督)は南海から1位指名を受けた。「5位か、6位と思っていたのでびっくりしました」。高校時代は不祥事続きで公式戦登板は高校2年夏までの3試合だけ。実績もなく、無名の存在だったのだから無理はない。もっとも、南海に行くのはドラフト前から決めていたことでもあった。他球団ならプロ拒否の予定でもあったという。
想定外の出来事ではあった。1983年11月22日、プロ野球ドラフト会議が東京・飯田橋のホテルグランドパレスで行われた。南海、近鉄、日本ハムの3球団は創価高の左腕・小野和義投手を入札1位。抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。そして南海は外れ1位で加藤氏を指名した。事前に指名が予想されており、倉吉北側も会見の用意はしていたが、1位とは本人も含めて誰も思っておらず、その時間帯は学校にいなかったという。
「たまたま倉吉市内の高校が集まるイベントが中央体育館ってところであって、僕はそこにいたんです。で、1位と聞いて、急きょ外に出て胴上げとなったんですけど、ウチの野球部の仲間だけでなく、他校の生徒も入っていましたよ。なんだなんだ、みたいな感じで……。それから学校に戻って記者会見して、今度は学校のグラウンドで胴上げ。1日に2回やりました。最初のところで撮っていないマスコミもあるだろうってことでね」
ドラフト前、南海以外の球団には大学進学を明言
実のところ加藤氏はドラフト前にプロ拒否の意向を各球団に伝えていた。「『大学に進学します』と言っていました」。これは南海スカウト側から指示されたもの。日本ハムを除く11球団から興味を示されており、大学進学を打ち出すことで南海以外の10球団に獲得を諦めてもらう“作戦”だった。ドラフト当日は南海が5位か6位で“強行指名”して加藤氏を口説き落とす。当初はそんなシナリオが描かれていたという。
「もともと僕はどこの球団でもよかったんです。高校の時に何の実績もないピッチャーですしね」。それが南海に気持ちが傾いたのは担当の杉浦正胤スカウトの誠意だった。「南海さんは何度も何度も来られた。杉浦(正胤)さんだけでなく、他のスカウトの方もね。ウチの親も『南海さんが一番熱心だから、南海さんに行きなさい』と言うようになった。契約金とかは決して高くないんですよ。何を僕らが感じたかといえば、誠意なんです」。
そもそも一番最初に自主的な“放課後練習”の加藤氏をチェックしにきたのも南海・杉浦スカウトだ。それをきっかけにいろんな球団が来るようになった経緯もあった。「杉浦さんの最後の殺し文句は『私には子どもがいないので、養子としてほしい。養子にしてでも、それぐらい面倒を見る』でした。口がうまいですよね」。加藤氏は笑みを浮かべながら振り返ったが、南海に行きたい気持ちも自然と高ぶり、言われるがままに大学進学、プロ拒否の姿勢を打ち出した。
トイレ個室で得た“情報”で繰り上がった指名
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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