甲子園逃し…始まった“地獄の日々” 流血しても終わらぬノック、深夜まで8時間の罰走|球界群像 紀藤真琴#5
広島などで活躍した紀藤真琴氏【写真:山口真司】紀藤真琴氏が明かす中京時代の厳しい練習「先生がすごく怖かった」
広島など3球団でNPB通算78勝右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は中京高(現・中京大中京)で恩師の杉浦藤文監督によって徹底的に鍛えられた。「先生のおかげで強くなりました」と感謝しているが、1982年の2年秋に東海大会初戦で敗れて、甲子園3季連続出場を逃してからは「さらに厳しくなった。それまでとは全然違いました」という。「きつかったなぁ」と当時を振り返った。
紀藤氏が高校2年時の中京は春夏連続甲子園ベスト4と輝かしい成績を残した。だが、新チームになっての2年秋は愛知2位で出場した東海大会初戦で静清工に2-3で敗れて、選抜切符をつかめなかった。周囲の期待は甲子園出場が前提だっただけに風当たりも強かったという。「そりゃあ、そうなりますよ。野球だから絶対はないんですけどね。相手だって中京を倒せばって来るし……。たぶん、自分たちのも心に隙があったんじゃないですかね、やっぱり」。
高校時代で残された“甲子園チャンス”は3年夏のみ。当然の如く、練習はさらに厳しくなったそうだ。「監督が、杉浦先生がすごい怖いですからね」と紀藤氏は苦笑しながら、こう続けた。「あれはいつだったかな。何か試合で負けて、自分と(外野手の)佐々木が学校の外周をずっと走っとけと言われて……」。その日の試合はダブルヘッダーで午後3時頃に終わったそうだが「そのまま夜の11時ごろまで走っていました」と話す。
「監督がOKするまでやめられなくてね。途中、監督が車で出ていっちゃって、ああ、やっと帰ったと思っていたら、また急に帰ってきたりするわけですよ。最後は確かコーチが監督に『いつまで走らせましょうか』と電話してくれて『もう終わっていいぞ』って。その声を聞いてハァーって。あれは今でも忘れないですよ」。
9回2死までノーヒット投球で交代「天狗になるから駄目だ、みたいな」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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