契約更改で異例の懇願「年俸上げないで」 広島→中日で復活も…見据えた“終わり”|球界群像 紀藤真琴#24
中日でプレーした紀藤真琴氏【写真提供:産経新聞社】紀藤氏が中日で再出発、巨人戦で通算1000奪三振を達成
また故障と闘い、再び這い上がった。2000年オフに広島から中日にトレード移籍した紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)だが、新天地でスムーズに事は進まなかった。中日1年目の2001年はリリーフで起用されたが、右肘痛に苦しみ2勝のみ。だが、懸命に前を向き、2002年は4勝を挙げた。38歳になったプロ20年目の2003年は、先発に回って7勝と数字を伸ばした。これには本拠地・ナゴヤドーム効果もあったという。
2000年10月に中日へ移籍した紀藤氏は背番号55で再スタートを切った。1984年の広島1年目から1987年の4年目までつけていた番号だ。「何番が空いているんですかって聞いたら55番が空いていたんでね」。若手中心の秋季キャンプにも参加した。「何もやらずに投げて肩が痛いなって思った覚えがある。練習もきつかったですよ」。闘将・星野仙一監督については「そりゃあ怖いですよ。当たり前じゃないですか。『何やっているんだ! お前は』ってよく言われていましたから」と言って笑った。
名古屋市出身の紀藤氏にとって中日は地元球団。「移籍したのは親父やお袋に最後くらいは中日のユニホーム姿を見せたいというのもあったんでね」と新天地での活躍を誓い、移籍1年目に臨んだ。開幕からリリーフ要員としてスタンバイ。与えられた出番で黙々と投げたが、また怪我が立ちはだかった。シーズン6登板目、4月19日の広島戦(福山)で1-7の6回に3番手で登板して2回4失点。右肘痛を発症して戦線離脱となった。
広島や中日で活躍した紀藤真琴氏【写真:山口真司】感じた球場の違い「広いし、直射日光を浴びない」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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