涙が溢れた“最後”の対面「ガリガリになられていて…」 胸に刻んだ覚悟「もう1回復活するから」|球界群像 紀藤真琴#17
気迫あふれる投球で“炎のストッパー”と呼ばれた広島・津田恒実氏【写真提供:産経新聞社】元広島・紀藤氏が明かす津田恒実氏とのエピソード
元赤ヘル右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)にとって、プロ9年目(1992年)は試練のシーズンだった。ここ数年の登板過多の影響もあったのだろう。右肘痛を発症して、オフに手術した。リハビリにも時間がかかり、本来の力を発揮できなかった10年目(1993年)には、お世話になった先輩の津田恒実投手の訃報も届き、大ショックを受けた。最後に会った日のことは「一生忘れることはないでしょう」と語った。
プロ6年目の1989年に61登板したのをはじめ、紀藤氏は1軍定着以降、ほぼフル回転で投げ続けてきた。8年目の1991年には主に中継ぎ投手として広島のリーグ優勝にも貢献した。しかし、9年目の1992年は一転して苦しいシーズンになった。全てリリーフの21登板で0勝0敗1セーブ、防御率4.55。右肘痛に悩まされて、思うような投球ができず、終盤の9月は1登板、10月は登板なしに終わった。
「その年はずっと(右肘が)痛かった。そりゃあ、あれだけ投げてきたら、絶対どこかは壊れるでしょう。あれで、どこも悪くならない人はいないと思いますよ」と話したが、歯がゆい思いだったはずだ。検査の結果、遊離軟骨(ネズミ)が見つかり、オフに手術した。「手術は内視鏡ではなく、バーッと切って骨も削ったんです。15針くらい縫ったのかな。内視鏡と違って、傷がなかなか治らなくてリハビリにも時間がかかりました」。
10年目(1993年)の初登板は6月8日の横浜戦(広島)。1-6の9回に4番手で前年9月2日以来の1軍マウンドに上がったが、打者5人に3安打1四球の1/3回4失点だった。「2軍の時に(1軍首脳陣に)『どうだ』って聞かれて『まだスピードが130キロぐらいしか出ていないから多分、無理です』って話をしたんですよ。『それでもいいから上がって来い』と言われて上がって投げたけど、やっぱりスピードが出なくて……」。
広島で活躍した紀藤真琴氏【写真:山口真司】 療養中の津田氏と再会「一生、忘れることはない」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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