「詐欺じゃないか」 周囲は心配も単身で渡米…40歳でマイナーに挑戦した両投げ投手

1Aサリナス時代の近田豊年氏(右)【写真:本人提供】
1Aサリナス時代の近田豊年氏(右)【写真:本人提供】

LAでの合同トライアウトに参加…左右で投げインパクト残すも「不合格」に

 思いついたら、行動する。“スイッチピッチャー”としてプロ野球で4年間プレーした近田豊年氏は他の人が考えないようなことにも果敢にチャレンジした。「40歳と42歳の時にアメリカでトライアウトを受けたんです」。阪神を退団、引退したのが25歳で、実現しなかったものの38歳の時には楽天入りを真剣に画策した。それだけでも仰天発想だったが、マスターズリーグでのプレーを経て、今度は米国に目を向けたのだ。いったい何がそうさせたのか。きっかけは何だったのか……。

 楽天・田尾安志監督から練習参加を断られた近田氏は、その後、ゴルフのレッスンプロ兼マスターズリーグでのスイッチ投手の“二刀流生活”に突入した。「右も左もめっちゃ投げられるようになったなと思いました。そんな時にケータイかなんかで(米国)30球団の合同トライアウトっていうのを見つけたんですよ」。これに興味を持った。「交渉人みたいな人に頼めばエントリーして、飛行機の手配などもしてくれるとあったんで、書いてあった連絡先に電話したんです」

 それが締め切り2日前くらいだったという。「お金は30万円くらいかかったと思います。電話したら、翌日の夕方までに振り込んでくれと言われました」。その通りにしたという。「周りから詐欺じゃないかと心配されました。でも、チケットもちゃんと来たんです」。トライアウトが行われるロサンゼルスに単身乗り込むと、空港には連絡を取り合った人が待っていた。「めっちゃ、いい人でした。泊まりは別荘みたいな一軒家でした」。

 そこには近田氏以外にもトライアウトを受ける3人の日本人がいた。「高校生と社会人野球の子と草野球をやっていた人。もちろん、僕が一番年上でしたけどね」。球場に行くと受験者は何百人もいたという。「ピッチャーは投球練習だけでした。遠投とか走るのもあるのかなって思っていたけど、なかったですね」。当初は相手にもされていなかった。「僕の年齢を見た瞬間に、ああって感じになっていたのがわかりましたね。でも、両手で投げ始めたら変わったんです」。

 左で15球、右で15球くらい投げた。「周りがざわついていました。(トライアウトには)お客さんもめっちゃいたので、すごく……」。それでも結果は不合格。最終的にはやはり年齢がネックになっていたという。でも、チャレンジはまだ終わらない。次は41歳で独立リーグ・北信越BCのテストを受けて不合格。「あまり覚えてないんですけど、確か、場所は西武球場。両手で投げたと思いますね」。そして42歳で米国のトライアウトに再挑戦してアウトだった。

米国で2度、日本の独立Lで1度テスト参加「根本は野球が好き」

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