帰国して絶句「チームに籍がなかった」 伝説の両投げ投手…待っていた“幽霊扱い”|球界群像 近田豊年#5
1Aサリナス時代の近田豊年氏【写真:本人提供】近田豊年氏は2年目に1Aで活躍も帰国後は“練習生扱い”
“スイッチピッチャー”としてプロの世界に飛び込んだ近田豊年氏は、南海、阪神でプレーして通算成績は1試合登板、0勝0敗、防御率9.00。騒がれまくった入団当初が嘘のように、その後は不遇が目立った。プロ生活はわずか4年で終わったが、実戦のマウンドで輝いた時期が全くなかったわけではない。プロ2年目は充実の両投げ生活だったという。ただし、舞台は日本ではなく、米国。「自信にもなったし、むっちゃ、いい思い出になりました」。でも、帰国するとそれが続かなかった……。
プロ2年目の1989年シーズン、近田氏は1Aサリナスへ野球留学した。「その当時はどこの球団も何人か行かせてましたからね。ダイエーからは自分以外にも吉永(幸一郎捕手)とか数人いました」。すぐに両投げに注目が集まった。「両方で投げろって言われました。全然、日本と違うんですよ」。試合でも投げた。右、左だけでなく、上手、横手、下手も駆使して変幻自在の投球。「全部、自分で判断した。抑えるためにベストな方法を自分なりに考えました」。
基本形の左オーバースロー、右アンダースローで緩急もつけた。「右と左のスピードの差がすごくあるので、普通にストレートを投げても空振りしてくれるんですよ」。試合は毎日行われ、先発もリリーフもこなしたという。「何勝したのか覚えてませんが、相当な試合数を投げました。粗削りでしたから、すごくいいピッチングをしたと思ったら、次は全然駄目、なんてこともありましたけどね」。その時は1年間の留学が必ず飛躍につながると思っていた。
現在は「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田豊年氏【写真:山口真司】横浜大洋から誘いも投手コーチと「ちょっと言い合いみたいになって…」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜近田豊年編〜
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