「地獄」だった広島の“酷使” 敵でさえ同情「大丈夫か?」…先輩に詰められる恐怖|球界群像 紀藤真琴#14
元広島・紀藤真琴氏【写真:山口真司】背番号12は1年で終了…高木宣宏氏のために「11」へ
元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)はプロ6年目の1989年、オールリリーフの61登板で、4勝1敗7セーブ、防御率2.68の成績を残した。広島・山本浩二監督体制1年目シーズンに中継ぎ、抑えとしてフル回転したが「開幕当初は148キロとか投げていたのが、最後は132キロくらいでした」。試合前練習からヘトヘトになり、本番にもビシバシ登板。躍進の年にもかかわらず他球団からは「大丈夫か」と同情されていたという。
ミスター赤ヘルが監督になって帰ってきた1989年シーズン、紀藤氏の背番号は11になった。前年(1988年)に55から12に変更したばかりだったが、わずか1年で、また変わった。「(それまで11番をつけていた左腕投手の)高木(宣宏)さんが、あまり調子が上がらないので背番号を変えたいということで、自分が12から11になったんです」。
1981年ドラフト3位で北陽高(現・関大北陽)から入団の高木はプロ2年目の1983年から12番をつけ、4年目の1985年には9勝を挙げるなど活躍した。しかし、11番に変えた5年目の1986年は7登板で1勝。左肩痛に苦しみ、6年目(1987年)、7年目(1988年)は1軍登板なしに終わり、心機一転、以前の12番に戻したいとのことで、12番と11番で紀藤氏と背番号を入れ替えることになったそうだ。
「その時のことはよく覚えていますよ。(1軍投手コーチの)池谷(公二郎)さんに『お前、11番をつけろ』って言われたんです。自分は1年しか12番をつけていなかったから『またですかぁ』って言いましたよ。だって、アンダーシャツから、すべてまた番号を書き直さなければいけないじゃないですか。だから、そう言ったんですけど、そしたら池さんに『なんだ、ワシの番号が嫌なのか』って言われて……」。
6月には6試合連続登板も…1989年はリーグ最多61試合でマウンドへ
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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