落合の巨人入り阻止…煽り受けた守護神「やめよかな」 説得拒否した伝説スカウト・法元英明氏の親心
牛島和彦 ニュース・速報
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世紀のトレードも…確約されていた中日復帰 「紙もあるけど」譲れなかった“復帰の文句”
元横浜(現DeNA)監督で中日、ロッテでは投手として活躍した牛島和彦氏は現在、評論家として野球と関わり続けている。今後については「もう世の中、縁のものやなぁみたいな……。い…
練習中に救急車で緊急搬送 押しつぶされた監督の責務…医師が告げた「ストレスですね」
元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は2006年シーズン限りで横浜(現DeNA)監督を退任した。その年は最下位。4月から下位に低迷し、浮上できなかった責任をとって球…
断り続けたコーチの誘い「絶対もめる」 “上下関係”に嫌気…牛島和彦にピッタリだった最下位球団
元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は2005年から2シーズン、横浜(現DeNA)の監督を務めた。1993年にロッテで現役引退して以来のユニホームだった。「打つチー…
激痛で記憶なし「私生活が普通にできるように」 新制度に葛藤…牛島和彦、32歳で決断「やめます」
手がしびれて、首が動かない時期もあった。中日、ロッテで活躍した牛島和彦氏(野球評論家)は1993年シーズン限りでユニホームを脱いだ。プロ生活は14年。32歳での引退だった。…
指揮官に届かなかった「もう無理です」 上がらぬ右肩…薬も効かず悟った“限界”
28歳にして“初体験”だった。元ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)はプロ10年目の1989年、21登板21先発で、キャリアハイの12勝を挙げた。「先発では成績を残せなかっ…
引退の打者に“避けた”敬遠「面白くない」 牛島和彦の葛藤…よぎったファンの思い
1988年は、中日からロッテ移籍2年目の牛島和彦氏(野球評論家)にとって劇的な一打を浴びたシーズンだった。オールスターゲーム第3戦(7月26日、東京ドーム)では3-3の延長…
ロッテ移籍で知った現実「拍手もパラパラ」 中日時代と一変…戸惑った“セパの格差”
想像を絶する世界だった。1986年オフに牛島和彦氏(野球評論家)は中日からロッテにトレードで移籍したが「いい勉強、いい経験をさせてもらいました」と言う。中日時代は本拠地・ナ…
牛島和彦に心無い「金出すから行ってくれ」 トレード通告に激怒…許せなかった中日フロント
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)の野球人生で、最大の衝撃はやはり1986年12月23日に通告されたロッテへのトレードだろう。その年の10月に、もっとも慕っていた先輩・星…
予期せぬトレード通告「えっ、俺なの」 待ち望んだ監督交代も…2か月で“関係終焉”
連続完投していても関係なかった。元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)はプロ6年目の1985年、シーズン途中から先発もこなし、プロ初完封勝利もマークした。10先発中、6完投と…
球団に「バカにされていた」 初の10勝も納得いかない年俸…交渉で迫った“一筆”
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)はプロ4年目を終えた1983年オフの契約更改交渉で球団フロントに“猛烈要求”を突きつけた。「来年(1984年)誰から見ても納得する成績を…
全治半年なのに…1か月で“強制復帰”「戻ってこい」 牛島和彦の治らない右肘「ずっと痛かった」
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)がプロで躍進したのは3年目の1982年だ。シーズン途中から先発に回った鈴木孝政投手に代わって抑えも務めるなど、オールリリーフで53登板、…
契約更改で「もう出ていけ」 常識外れのルール破り…ドアに貼り付けた“罰金”
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)は現役時代、クレバーなマウンドさばきで知られたが、若かりし頃はヤンチャな選手とも言われていた。グラウンド外でもなかなかの“猛者”ぶりで、…
“腫れた指”に感じた野球生命の危機 くにゃくにゃになった関節…魔球が生まれた奇跡
得意球用の指になった。現役時代に中日とロッテで活躍した右腕の牛島和彦氏(野球評論家)はフォークボールの使い手としても有名だった。切れ味鋭い魔球だったが、プロ入り当初からメイ…
肘に怪我も「上がって来い」 “客寄せ”の1軍で快投…高卒ドラ1に「ホンマに痛いんか」
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)からドラフト1位で入団。プロ1年目の1980年は8月下旬に1軍昇格し、9登板で2勝1敗、防御率5.00の成績を残した。リリ…
ドラ1入団もレベル差に愕然「俺じゃ無理」 中日エースがブチギレ「帰れ」、牛島和彦が痛感した現実
浪商(大阪)からドラフト1位で中日入りした牛島和彦投手(現・野球評論家)はプロ1年目の1980年の宮崎・串間キャンプで「えらいところに来てもうた」と愕然となった。初日に足を…
パ全球団入団拒否の牛島和彦「えらい叩かれた」 巨人は指名回避…ドラフト当日の“事件”
浪商(大阪)のエース・牛島和彦投手(現・野球評論家)は1979年ドラフト会議で中日から単独1位指名を受けて入団した。春準優勝、夏ベスト4という甲子園での実績の上に、イケメン…
牛島和彦、監督指示を無視「投げているのは俺や」 甲子園Vへ“危険な賭け”…最悪の結末に謝罪
元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)時代に春2回、夏1回、甲子園に出場した。夏は3年時の1979年選抜準優勝に続いて出場。最後は準決勝で涙をのんだが、…
牛島和彦、因縁の甲子園「俺は仁村家にとって悪人やな」 9回2死からの奇跡…中日でも続いた友情
最後の夏で、まさに起死回生の一発だった。元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)で投手としてだけではなく、5番打者としてもシュアな打撃で注目を集めたが、高…
選抜準Vで人気沸騰…怪我で離脱も強制“顔見せ”登板 痛み止め注射6本で「夏はもう無理」
人気者のつらいところだった。1979年選抜大会で浪商(大阪)は準優勝を果たしたが、大会2日後にまさかのアクシデントに見舞われた。エースの牛島和彦投手(元中日、ロッテ、現・野…
敬遠指示に吠えて“造反”…ベンチの監督に「黙って見とけ」 疲労困憊でも貫いた意地
甲子園のマウンドでベンチに向かって吠えた。1979年選抜大会で、牛島和彦投手(元中日、ロッテ)と香川伸行捕手(元南海)の黄金バッテリーを擁する浪商(大阪)は決勝に進出した。…
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